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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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再び仙台散歩②~「藤村広場」②~島崎藤村「草枕」詩碑

再び仙台散歩②~「藤村広場」②~島崎藤村「草枕」詩碑_a0087378_9324619.jpg この島崎藤村「草枕」詩碑は、昭和11年に八木山建立されたが、昭和42年に現動物園が建設拡張されるのに伴って青葉城址に移転され、平成16年にこの地に移転されたということのようだ。
 平成20年(2008)に、青葉通り経由で博物館へ行き、その後、青葉城址―片平丁と散策をした時に、この青葉城址に建っていた痕跡を見ている。そのことについては、「仙台散策余談②~青葉通りから」の中でふれている。
 この時に立ち寄った土居晩翠がかかわる晩翠草堂とのかかわりを意識したのだと思う。
 http://kazenoshin.exblog.jp/7739318/

 詩碑に刻まれる文字は傷みで読めない部分もあるが、その脇に建つ案内板には、先にその刻まれている事を引用されているので、これと見比べることで確認ができる。引用部分は、次のように「草枕」の10節部分のようである。
 島崎藤村「草枕」詩碑
 
 心のやどの みやぎ野よ 乱れて熱きわが身には
 日かげもうすく草枯れて 荒れたる野こそうれしけれ
 独りさみしきわが耳は 吹く北風を琴と聞き
 かなしみふかき吾が眼には 色無き石も花と見き
                           島崎藤村
 年若き日の思い出に旧詩草枕の一節を記す
 その後に、その解説が記される。
 「草枕」は、藤村が漂泊の末たどり着いた仙台の地が、やがて夜明けの地、春の到来を告げる場所になる事を確信していく心の軌跡を自伝風に綴った長い詩です。明治30年8月刊行の「若菜集」51篇の中でも、特別な位置づけのされる代表作の一つです。
 碑文は、その中の一節で、心の中に見えた宮城野が感動的に歌われ、自筆で記されています。藤村自身、回想の中で好んで引用し、「私が一生の曙は、このようにして開けてきた」と述べています。
 この碑は昭和11年11月、当時の土居光知東北大学教授ら有志により八木山に建立されました。日本近代詩の第一歩がしるされたこの仙台の地にこそ碑を、という熱い思いから藤村に寄託を求め、実現したものです。当初、宮城野原が候補地にありましたが、陸軍第二師団歩兵第4連隊があったため、静かな環境の八木山に建立されたのでした。翌12年に来仙した藤村は、碑を前に感激し、「これはただの詩碑ではもない、むしろ、青春の碑とのいいたい」と述懐しています。
 昭和40年、八木山に新たな動物公園が開設され、続く拡張工事に伴い、藤村誌碑は同42年4月、青葉山公園(仙台城跡)に移されました。
 藤村が下宿した「三浦屋」の跡地は、仙台駅東第二土地区画整理事業の中で、平成16年、地元の人々の思いにより、藤村ゆかりの広場として整備されました。そして同19年、青葉山の詩碑は、若き藤村が誌心をはぐくみ、地域の誇りを守り育てる活動が熱心に続けられてきた、この地に、安住の場を求めることになりました。
 仙台市

by shingen1948 | 2015-03-18 09:42 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)