地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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仙台散歩⑬~「芭蕉の辻」③

 「芭蕉の辻」には、高札場(制札場)が設置され、四つ角全てに城郭風の高楼を備えた同じ形状の建物が建っていという。
 現況では、その様子は「芭蕉の辻」を案内する石碑の上部にのる龍とその下に掲げられるレリーフでしか知る事はできない。
 ただ、明治8・9年頃の様子が、東北歴史博物館の「芭蕉の辻 錦絵」でうかがい知ることができるということのようだ。

 昭和初期まで、絵葉書にこの芭蕉の辻が名所として登場する理由の一つが、現安田生命側にこの城郭風の高楼が残っていたことがあるだろう。もう一つが、その向かいの現日本銀行側の七十七銀行本店の建物とのコントラストかな。
 「せんだい時遊マップ」のページで、その風景が確認できる。
 http://map.smt.jp/ 
a0087378_79559.jpg これは、現日本銀行側に芭蕉辻商館が建った頃の写真のようだ。奥に建つ建物が、七十七銀行本店の建物で、手前の小さな建物が交番のような気がする。気になるのが、この写真は昭和初期に撮られたものとの解説かあること。芭蕉辻商館、七十七銀行本店の建物、交番が併存している期間があったという事か?
a0087378_7111768.jpg ただ、芭蕉辻商館の建物は、明治33年4月に焼失するようで、その様子も同マップで確認できる。
 その後の様子も同マップで確認できるが、現安田生命側の建物は、城郭風の高楼の建物のままで、その国分町方面の建物にも、手前の右手は、城郭風の高楼の建物はないものの、その手前の建物の雰囲気はそのまま残っていたように感じる。
a0087378_7122073.jpg 日本銀行側の七十七銀行本店の建物は、先に整理したように、その後「精養軒」が利用するようだ。その当時のサービスガールは、紺の着物にエンジの帯、白いエプロン姿で給仕をして、カフェーを兼ねての営業で評判だったとの情報も見る。
 その後、日本銀行仙台支店も利用していたようだが、昭和20年7月10日の仙台空襲で焼失したということだ。仙台空襲の写真を見ると、芭蕉の辻付近全体が壊滅状態のようだ。仙台の名所としての存在も、この時点で消滅したということなのだろう。軍事工場があったからかなという情報も見るが、多分それは建前だろう。
 
 当時を偲んで散歩するのには、東北歴史博物館で「芭蕉の辻 錦絵」を確かめ、「せんだい時遊マップ」のページで紹介される写真を、戦災復興記念館で確かめる事が必須かな。
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by shingen1948 | 2015-03-10 07:13 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)