地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

仙台散歩⑫~「芭蕉の辻」②

a0087378_70241.jpg  「芭蕉の辻」を案内する石碑の上部に龍がのり、その下にレリーフが飾られる。
 これが、この交差点の四隅に藩が造営した建物があったということとかかわる。
 その建物は、四つ角全てが城郭風の高楼を備えた同じ形状だったとのことだ。銃眼と矢挟間とを備えた城郭式楼櫓建築だったが、一階部分は普通の商家と同じつくりで、地元の豪商に貸し出されていたのだとか。これらの建物は何度か火事に遭った際も、その度に仙台藩の費用によって再建されたという。
 仙台藩が、街道を行く人々にその威光を見せるためだったと聞く。
a0087378_7102959.jpg
 レリーフには、四つ角全てに城郭風の高楼を備えた同じ形状の建物が建っていた「芭蕉の辻」の様子が描かれている。石碑の上部にのる龍は、その城郭式楼櫓建築のやねに飾られている龍のようだ。手持ちカメラは安物のデジカメのため、レリーフの部分の解像度が悪くはっきりしないのでこの部分、「建設コンサルタンツ協会広報誌」よりお借りした。
 東北歴史博物館の「芭蕉の辻 錦絵」と見比べながら眺めるとイメージしやすい。この錦絵は、熊耳耕年<くまがみこうねん>筆で、明治8・9年ごろの風景を描いたものとのことだ。
 http://www.thm.pref.miyagi.jp/index.php?app=shiryo&mode=detail&list_id=41&data_id=50148
 このレリーフと「芭蕉の辻 錦絵」が描くこの辻の風景から、制札は辻の南側の通りの中央に掲げられていたことも分かる。案内では「札の辻」に関わって、「この辻の西 大町三丁目の道路の中央に幕府の指令による忠孝 切支丹 絵馬などの制札が掲げられていた」と解説されることのつながり。ウィキペディアで、「高札」の項を確認すると、次のように解説される。
 幕府は人々の往来の激しい地点や関署や港、大きな橋の袂、更には町や村の入り口や中心部などの目立つ場所に高札場(制札場)と呼ばれる設置場所を設けて、諸藩に対してもこれに倣うように厳しく命じた。これに従って諸藩でも同様の措置を取ると同時に自藩の法令を併せて掲示して自藩の法令の公示に用いた。
 この代表的な高札場例として、江戸日本橋、京都三条大橋、大阪高麗橋、金沢橋場町と共に、この仙台芭蕉辻も挙げられている。
[PR]
by shingen1948 | 2015-03-09 07:13 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)