地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

仙台散歩⑪~「芭蕉が辻」

a0087378_514185.jpg 芭蕉が辻は、仙台城の大手から東西に延びる大町通りと奥州街道とが交差する辻で、ここに、「北 津軽三厩迄 四十五次 百七里二十二丁 奥道中」・「南 江戸日本橋迄 六十九次 九十三里 奥州街道」と刻まれた道標(里程標)が建つ。
 その脇に、以下のような芭蕉の辻の由来が刻まれる案内の石碑が建つ。
 ここは、仙台城の大手から城下を東西に貫く幹線大町と南町国分町を通る奥州街道の交差する十字路に当たり、古くから芭蕉の辻と呼ばれてきた。
 この名称の由来は、かつてここに芭蕉樹があったがためと言いまた繁華な場所ゆえの「場所の辻」の訛ったものだとし、更に藩祖政宗が重く用いた芭蕉という虚無僧が一時 居住していたためといわれて 定かにはわからない
 しかし正式には「札の辻」であって、それはこの辻の西 大町三丁目の道路の中央に幕府の指令による忠孝 切支丹 絵馬などの制札が掲げられていたのに因る この位置から察せられるように町割りの基点となり 諸方の里標の基準ともなった
 このたび由緒あるこの地に安田生命保険相互会社仙台ビルが建設されるに当たり 里程標を復元し 併せて記念碑を建てて旧跡を永く後世に伝えるものである。
 昭和46年1月

 仙台市町 島野武
 安田生命保険相互会社取締役社長 水野衛夫

a0087378_5202451.jpg 立派な案内のための石碑であることと共に、この建立に市長さんと共に、民間企業の「安田生命」さんが名を連ねるのが気になった。 小さな事が気になるのが性分だが、これが「芭蕉が辻」の絵葉書を確認していて納得。
 この辻の4つの角には、かつて2階建ての城郭風の建物が建っていて、これが仙台藩の威光を感じさせる建物だったようだ。
 絵葉書を確認して行ったら、ここが安田生命になってからも、ずっとこの仙台藩の往時を偲ぶ建物は残っていたという経緯があるようなのだ。恐らく、安田生命が現建築に建て替える時に、この仙台藩の往時を偲ぶ建物にかかわる部分をどう残すのかを検討せざるを得ない状況があって、このような形になったのだろうと想像する。
 先に「芭蕉が辻」付近が銀行街になる変遷を整理する中で、明治生命支店の建物の位置がよく分からなかったが、絵葉書で「芭蕉が辻」の変遷を眺めていると、近代建築風の建物変遷は、現七十七銀行地点と現日銀地点である事が分かった。
 大正11年(1922)に建てられた明治生命の建物は、地上3階、地下1階のロマネスク建築式で、煉瓦の壁にみかげ石が貼られていたという。ということは、その位置を現七十七銀行の地点とみれば自然かなと思うが、どうだろうか。
 尚、現日本銀行仙台支店の地点が、「芭蕉が辻商館」→「七十七銀行本店」→「日本銀行仙台支店」との情報整理をしたが、七十七銀行本店」→「日本銀行仙台支店」の間に、「精養軒」が入るようだ。
 絵葉書でおなじみの「七十七銀行本店」の建物は、その後「精養軒」が利用し、その後、日本銀行仙台支店が利用していたのだが、昭和20年7月10日の仙台空襲で焼失したとの情報を見つけた。
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by shingen1948 | 2015-03-08 07:12 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)