仙台散歩~仙台停車場前で
2015年 02月 25日
この日、寒波が続いていて寒い上に、福島は朝からの大雪だった。しかし、仙台では積雪は数ミリ程度で、天候も晴れ間も見えていた。風は冷たかったが、散歩には支障がなかった。
所用があって出かける時には、その近くに一つだけ散歩の為の目的地を作るというは、常だった。しかし、ここ仙台に来るのは大概が家族と一緒だった。そのため、行き先を決める主導権を持っていなかったので、仙台で散歩の為の目的地を作るということはしていなかった。
それが、今回は連れはいたものの、主導権は自分にあった。それで、「本来の目的地+散歩のための目標地点」を決めることができたのだ。
「本来の目的地」は駅の北側にある。これに「散歩のための目標地点」として「芭蕉が辻」を加えることにした。この「芭蕉が辻」も「あそこは、石碑が建っているだけで何もないよ」と常に却下されていた地点だ。
これは、駅に降り立って「本来の目的地」に向かう途中に連れを撮った写真に写り込んだ駅の北側の写真を切り取ったものだ。
ここを、飯坂の「愛宕山散歩」とのかかわりでみれば、仙台に来た島崎藤村が最初に滞在したという「針久支店」のあった地点ということだ。
「仙台地図散歩」にかかわるページで、このあたりの大正時代の様子が確かめられる。ここには、「ムツホテル」・「針久」・「本郷」・「大泉」の旅館が並んでいたことが分かる。多くは、国分町の旅館の各支店が駅前に進出したものなのだろうと想像する。
連れが写る駅前広場の西側には、「おく田(?)」・「安藤」・「丹六」の旅館名がみえる。そして、「裏五番通り」の南側に「仙台ホテル」・「ムツホテル別館」の各旅館が並んでいたようだ。
「裏五番通り」沿いには「丸久」旅館明もみえる。
これらは、「散歩のための目標地点」として「芭蕉が辻」を加えたことで見えた風景という側面もある。というのは、この裏側の通りが「芭蕉が辻」から真っ直ぐ宮城野区にまで延びる「名掛丁」という道筋なのだ。
このことは当たり前過ぎるので、地元に詳しい人には案内してもらえないということだ。
その名掛丁の通りに「小梁川」の旅館が見え、停車場前通りには「初音」の旅館名が、元寺丁通りには「菊清」の旅館名が見える。
大正時代には、仙台駅が開設された事に伴って、各老舗旅館がこの辺りに進出し、旅館街を形成していたことが分かる。