地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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愛宕山散歩27~小説家「宮本百合子文学碑」情報修正⑪

 彼女を福島の郷土史の視点で捉えるなら、郡山の開発にかかわる中條恒政氏のお孫さんという立場かな。

 中條恒政氏は、元米沢藩士。
 (三島県令の次の時代)福島県の役人になり福島にやってくる。この時、不毛の地と呼ばれた安積原野開拓計画の先頭に立ち、明治9年には開拓村―桑野村が誕生することになる。その後、政府事業によって安積疎水と安積原野の開拓が進められ、全国の旧士族が移住してくることになるという開発経緯。
 氏は、その後福島を離れるが、現役を引退して東京に戻ろうとした時に、地元民に請われて晩年をこの地で過ごすことになったようだ。
 この方のお孫さんが宮本百合子氏で、先に整理した百合子氏の祖母運が、この恒政氏の連れ合いの方という関係性だ。それで、百合子氏の祖母の運さんが開成山に在住していらっしゃったということだ。

 地元の方からみれば、百合子氏は、中條恒政氏の奥様のところに幼少時代から毎年滞在しているかわいいお孫さんということになるのだろう。
 その百合子お嬢様が、この開成山の地を舞台に「貧しき人々の群」・「播州平野」の小説を発表したという捉え方になるという事になる。地元の方にとっては、どのような内容であろうと、肯定的な捉え方として「百合子お嬢様」の作品ということになるようだ。

 宮本百合子氏を郷土史の視点に沿って郡山から追えば、そのお嬢様のイメージを引きずることになる。
 飯坂の百合子氏も確かにお嬢様ではある。飯坂への旅行自体もお嬢様だから出来る事だろうと思う。それに加え、使用人だった方を呼びだして行きたい処を案内させてもいる。確かにお嬢様だが、ただ、このお嬢様、逞しいのだ。

 日記を読んで分かるのは、郷土史家が感心するほど、百合子氏の散策は徹底していることだ。構想ができて3月27日から飯坂に再滞在した時の百合子氏の行動を追ってみる。氏は、ろくに休む時間をとらずに数カ所を散策しているようだ。
 28日には十綱橋から赤川の方を廻る。そして、29日にはその先の天王寺の沼を廻って、白土採掘場まで出掛けるが、宿に戻って一服すると直ぐに愛宕山に行って策動を見に出かけている。
 30日には舘の山に出かける。31日には、前日に散策した舘の山の反対の山へ行っている。
 4月1日には、どなたか知らないが岡村のじいちゃんの所に出かける。岡村は長岡村の北側の村だ。
 4月2日には、午後から愛宕山のはずれの方からぐるっと一廻り歩いてきている。次の3日にはその奥の穴原の奥の方に出かけている。
 更に、次の4日には、また舘の山に出かけている。
 5日には、「そがの家」を観に出かけている。飯坂の劇場だろうか。
 6日には、小川の河原に出かけ自然の観察や、殺人事件のあった牛乳屋に興味を示している。小川の橋が流されてそこには行けなかったとあるので、その牛乳屋さんは、平野辺りのイメージかな。
 ここで、急きょ東京からの手紙で帰る事になるのだが、本当は10日迄このような散策の予定だったようなのだ。

 これだけみても、かなり活発に動き回るエネルギッシュで探究心旺盛さを感じる。更に、当時の彼女の出向いた先が、まだ整備されていない状況であることを考慮すれば、その健脚ぶりのイメージが増幅する。
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by shingen1948 | 2015-02-07 06:42 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)