阿保原地蔵尊 ⑦
2014年 09月 25日
「曹洞宗五峰山 松音寺」の項の「鐘楼堂」と解説のつく写真の右手の写真。そこに説明はないが、拡大してみると、左手に子供を抱くお地蔵さんのお姿。福島(長楽寺)の「半底勺阿保原地蔵尊」のお姿と同じだった。
http://sekishin.info/temples/wakabayashi/shouonji/
この松音寺を確認すると、寛正年間(1460〜1466)に伊達家の菩提寺として11世持宗によって伊達郡国見町松ヶ蔵に開山した寺だ。この寺は、天文17年(1548)に一端丸森に移るが、政宗が仙台に開府すると、慶長7年(1602)に現在地に移ってきたとのことだ。
これが、当方の散歩とつながっている。
「伊達成宗の墓を訪ねる」で整理した伊達成宗の墓地がその旧地のはずで、解説に言う「寛正年間(1460〜1466)に伊達家の菩提寺として11世持宗によって伊達郡国見町松ヶ蔵に開山した寺」跡だ。
http://kazenoshin.exblog.jp/7072668/
福島(長楽寺)や仙台(松音寺)は、地元の寺だが、福井(永平寺)・鶴見(総持寺)は曹洞宗の大本山で、ここにも「半底勺阿保原地蔵尊」が建っているという。
曹洞宗公式サイトでは「両大本山」を次のように紹介する。
http://www.sotozen-net.or.jp/soto/honzan
両大本山したがって、こちらにも建立されているということが、その道に長けた方々にとって、散歩人が想像する以上に誉な事だったということなのだろうと思う。
曹洞宗には、大本山が2つあります。ひとつは福井県にある大本山永平寺(だいほんざん えいへいじ)であり、ひとつは横浜市にある大本山總持寺(だいほんざん そうじじ)です。これを両大本山といいます。
両大本山は曹洞宗寺院の根本であり、信仰の源であります。
「阿保原な日々」の「近代の阿保原地蔵」のページの情報によれば、そこへ「半底勺阿保原地蔵尊」を建立できたのは、福島(長楽寺)との縁のらしい。
http://ahobara.exblog.jp/1445928/
なお、白石の阿保原地蔵尊については、基本的にこちらのブログ情報を活用させていただいていて、一次資料にあたってはいない。
北沢又の阿保原地蔵尊のお姿はよく見えなかったが、その原形である白石の三沢和尚堂の阿保原地蔵尊のお姿が写真で紹介されるのは、「あほばらー成城だより」の「成城とあほばらには実は深い関係が」のページ。
http://ahobaraseijo.at.webry.info/201111/article_2.html