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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~吾妻連峰へのアプローチ口としての庭坂駅⑧

 五十須場簡易水道組合解散記念碑が建つのは、五十須場薬師堂の境内だ。
のりしろ散歩~吾妻連峰へのアプローチ口としての庭坂駅⑧_a0087378_1147345.jpg
 薬師堂の手前に掲げられる案内板では、その薬師について次のように解説する。
 記:平成17年4月8日
 薬師如来
 病気になった時に早く治してくれる仏さまです。
 長い間かかっている病気(持病)に苦しむ人を救ってくれます。
 毎月8日が薬師の縁日とされ、この日の参詣には大きな功徳があるとされます。
 ここでは年に一度4月8日をお祭の日にしています。
 別当は、庭坂の清水寺です。
 中に、棟札にしては大きめの木札があって、以下の記載が読める。
 寛政5年発丑歳 大工棟梁 渡辺祐吉良
 奉拝 南無薬師如来
 奉造営瑠璃光堂壹宇
 日月清明
 天下和順
       専祈所
 4月8日○
 別当永昌山清水現6世   魁禄叟代  ○○○
 昭和61年
 この宇堂の建立が、寛政5年(1793)であり、その別当が「永昌山清水現6世魁禄叟代○○○」である事が読み取れる。
 清水寺の呼称を確認すると、永昌山清水寺と改号するのが、延宝元年(1673)のことで、それ以前の永昌山庭坂寺の寺号を廃しての改号らしい。何を書き写したのかが分からなくなってはいるが、自分用のメモ書きに、ここの薬師如来が「宝暦10年(1760)4/8に造立安置」されたとある。
 この地域には、先に永昌寺や庭坂寺が歴史を刻んでいたのだが、これ等の寺が廃寺となっているらしい。
 永昌山清水寺は、これら廃寺となった寺が刻んできた歴史を背負っているということらしい。寺号の呼称にそれ等が反映しているようなのだ。
 読み取りに間違いがなければ、永昌山とある永昌寺は、在庭坂の太子堂脇にあったらしい。その寺が、寛文年間(1661~72)に焼失するようだが、永昌山清水寺は、この寺の歴史も背負っているという事になるらしい。廃寺になった永昌寺にかかわって、「在庭坂字南20→白檀の老木と地蔵石仏の辺り」の自分用のメモ書きがある。
 「別当は、庭坂の清水寺です」といことにちょっとこだわってみた。

 ◇        ◇        ◇         ◇          ◇

 金曜日の最高気温35.3℃、土曜日の最高気温が、37.3℃だった。土日の夜は、暑苦しくして寝られなかった。それなのに、梅雨明けはまだだったとのこと。梅雨が明けたかどうかが問題ではなく、蒸し暑い夏になった。
 それが、日曜の夜からは暑苦しさがなくなって、昨日は秋空のようにすっきりとした晴れ方だったし、夜は涼しいほどだった。清々しい朝を迎えることができた。
 東北地方は、昨日が梅雨明とのことだが、本日もすっきりとした秋空の感じ。明日から蒸し暑くなるのだとか。
by shingen1948 | 2014-07-29 12:07 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)