のりしろ散歩~旧米沢街道笹木野宿③
2014年 06月 02日
〇 寛永8年(1631)には茂木助兵衛氏の名はない。
〇 正保2年(1645)の知行取が初出。
〇 寛永の検地高を示す正保国絵図に笹木野村が明示されている。
〇 上記から、万治の沢俣村給人帳の頃には既に宿場が開かれ、笹木野村が分立していたのであろうと推測される。
笹木野宿を開く茂木助兵衛氏の登場が、正保2年(1645)ということで、少なくともそれ以前にやってきているが、寛永8年(1631)以前ではないということだろう。ということで、寛永8年(1631)~正保2年(1645)の間に、茂木助兵衛氏がやってきたということだろう。
そして、「万治の沢俣村給人帳の頃」には笹木野村が分立し宿場が開かれていたということなので、笹木野宿は、万治2年(1658)には既に開かれていたということだ。そのぐらいのアバウトさで笹木野宿が開かれた年代が特定されるということ。
その有力な根拠が、「正保国絵図」に笹木野村が明示されることということのようだ。
この絵図の笹木野宿部分が福島市史に抜き書きされたているのだが、その図で「のりしろ散歩~米沢街道⑩~笹木野宿」で、感じた裡道にあたる道筋と街道筋との距離感についての違和感が解決だ。
「正保国絵図」の笹木野宿の西側に「野火止堤」が描かれていたのだ。
http://kazenoshin.exblog.jp/19688030/
違和感は以下のようなことだった。
(小字界の道筋は)、笹木野宿の街道筋を意識すれば、その裡道にあたる道筋で、現況では小字界の道筋になっている。この細い道筋の痕跡は、稲荷神社までたどる事ができる。笹木野宿の街道筋との距離は、イメージ的には二軒分の幅だが、所によっては一軒分の境にも細い道筋が走る。
これは、屋敷林群をイメージした稲荷神社付近の風景との境目附近の街道筋沿いの民家の裏側だが、ここに境界の道筋が走るのだが、その左側が微高になっている。ここから裡道をイメージした道筋との間を、その「野火止堤」とイメージすれば、屋敷林群をイメージした稲荷神社付近の風景ともスムーズにつながるのだ。
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〇 5/30は「中堰の道筋にバラ園」に立ち寄った。
この日、高気圧から暖かい風が入ったとのことで、県内各地、最高気温が30℃を超える真夏日となったとのこと。県内最高は、梁川町の33℃とのことだが、福島市も、32.3℃を記録し、平年より8.1℃高かったのだとか。
〇 5/31は、駅に用事があって出かけたら、駅前が賑わっていた。交通規制もあって何かなと思ったら、山車フェスタだったらしい。
この日も一日暑かった。福島市は最高気温33.7℃で、今年最高を記録とか。最高を記録は、伊達市33.5℃白河市31.5℃飯舘村30.7℃田村市29.8℃。田村市の記録は、統計を取り始めて以降、5月としての最も高い気温とのこと。
〇 のりしろ散歩の記録整理はしているが、6/1は近所に出かけたのみ。
このも県内各地は真夏日。福島市は最高気温34.6℃で、また今年最高を記録だろうか。2日も気温が高い状態が続く見込みとのこと。