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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~米沢街道⑤(八島田陣屋跡付近)

 米沢街道と陣屋の道筋の交差点の左手に見える年番小屋を「八島田陣屋見取り図」から読み取ったが、その右手に高札場が建つ。現駐在の入り口付近だろうか。
のりしろ散歩~米沢街道⑤(八島田陣屋跡付近)_a0087378_59115.jpg これは陣屋の道筋から米沢街道を見ているので、左手に高札場、右手に年番小屋の風景があったということだろうか。
 高札場の風景は、最近の散歩の資料としては、郷野目の絵図で、尾形屋敷前の道の真ん中に設置された挿絵をみたことがある。ただ、そちらの現地にも案内はみない。

 高札場は、古代から明治時代初期にかけて行われた法令などを板面に記して往来などに掲示して民衆に周知させるために設置されたと解説される。 
 その高札場の解説等からは、基本的には民衆の遵法精神の涵養を図り、その違反者は「天下の大罪」であることを知らしめるということのように読み取れる。内容的に、民衆からの告訴(謂わば密告)が奨励されているというのが面白い。
 高札場の目的には、幕府や大名などの権力者の存在感を誇示するということがあるようだが、解説等だけで、それを感じるのは難しい。
 ネットの中で、「大江戸歴史散歩を楽しむ会」の「日本橋高札場」というページに、典型的な高札場の風景をみつけて納得できた。
 http://wako226.exblog.jp/16102612
 郷野目の絵図や「八島田陣屋見取り図」の挿絵に描かれる高札場は、その地方ミニ版の風景のようだ。
 ミニ版ではあるが、構造的には基礎を石の土台で一段高くしてあり、木の柵で囲われて、屋根の下に差し掛けがついていて、そこに高札が掲げられるという施設に変わりない。
 これが、人の往来の多いところや道が交差したりするところに設置されているというなのだろう。
 案内がないのは、日常的なごく普通の風景だからなのだろうと思われる。ただ、散歩を楽しむものにとってはほしい案内かな。
 管理的には藩などの地方権力者の末端がその責任者なようなので、ここでは新発田陣屋かな。名主など村役人に、付近の掃除や手入れなどの管理を負担させたり、文字の読めない人のために村人に読み聞かせる仕事もさせたりしたらしいとの情報も見る。この地域に暮らす人々にとっては、幕府の権威そのものを示すもので、通行人はかぶり物を取って敬礼するものだったとも。
 この高札場は、距離表示の原点という役目もあって、集落という単位を表したり、住人たちのまとまりの象徴だったりするということででもあったとも。
by shingen1948 | 2014-04-05 05:23 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)