のりしろ散歩~米沢街道附近~「藤権現碑」と「弁慶の御山隠し」②
2014年 03月 15日
「藤権現碑と弁慶の御山隠し」を整理した時に、水熊さんから「弁慶の御山隠し」の由来がわかる新聞記事資料を紹介された。「福島市市史資料叢書」中の「立石のヤクをはらう」野田町下八島田~集落30軒でお祭り【福島民報(昭和31.4.22)夕刊】の記事だ。
「御山隠し」ということに関わっては、「立石のうしろに座ると信夫山がかげにかくれるというので一名『お山かくし岩』といわれ、奇妙なことにいくら掘っても同じ幅で石が地中に深く続き、年代を経った古石である」と紹介される。これは、「野田村郷土史」の「弁慶がこの碑の陰に休んで御山を拝もうとしたが見えなかったので、この名が出たと伝えられる」とあることに近い紹介かな。
記事は、その祭りの面白さとその由来を中心に紹介するのだが、遺跡としてのこの石の価値を、祭りの由来を否定することなく解説する見事な配慮も面白かった。
その中に「立石」あるいは「立石権現」の呼称とかかわることもさりげなく紹介されている。「いくら掘っても同じ幅で石が地中に深く続く」という部分だ。今回は、その事にかかわる整理をしておく。
「ゆの村」では、湯野の太子堂の応安の碑を同じような紹介をしている。この碑は、高さ1.6m、南無阿弥陀仏と刻まれ、その左下に応安2年(1369)とある碑。「再び「西原廃寺」⑤~太子堂」の後で訪ねてみたが、まだ整理していなかった。
http://kazenoshin.exblog.jp/10182352/
「信夫三山21 ~ 熊野山⑤」の立石山にかかわって、自然の力を霊的なものとして実感した事を整理している。「歴史地図」が、この立石山とかかわって石ケ森をとらえようとするのは、この感覚だろうと想像している。
石は、自然の力で立っている。その石に畏敬の念を持つという信仰心の原点のようなものかな。
http://kazenoshin.exblog.jp/10412284/
勝手に、古くから日本人の基層となる精霊崇拝・アニミズムという自然崇拝とかかわる信仰心だと思っている。それは、「自然の山や岩、木、海などに神が宿っていて、尋常ならざる特別な力の源は太陽、山河、森林、海等から石のようなものにつくとされるとか。」
「気を感じて伏し拝む⑧~木旗山③」では、立石祭祀遺跡と木旗山経塚群とのかかわりを、「その尋常ならざる特別な力の源を神力と呼べば、その神力がつきやすい石を磐座として祀り、ここに神を降臨させ、その「依り代」と神力を祭りの中心としたというのが、蔵王信仰とのかわりかなという勝手な解釈で捉えて整理してみていた。
http://kazenoshin.exblog.jp/17147572/
その延長に「御山隠し」を再読すれば、「立石のうしろに座ると信夫山がかげにかくれるというので一名『お山かくし岩』といわれ、奇妙なことにいくら掘っても同じ幅で石が地中に深く続き、年代を経った古石である」。
深読みできそうだとも思えてくる。
なお、ネット上なので、ここからの整理は、東のクニでは部落=集落だが、西のクニでは別意になるらしいことを配慮した表現に心がけている。