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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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西在への道筋~里道⑤~方木田附近散歩⑫

 里道は、現115号線バイパスを横切り、右手に本方木田集落をみながら南東方向に進む。

 その道筋の左手だが、その辺り一帯をアバウトに「松葉」と称するらしい。「吉井田ふるさと再発見マップ」では「松葉閑居堂」がプロットされる。これは、常光寺が大森にあった頃の寺の道場跡との事だが「松葉」がつく。他に「松葉梁場」というのもあるようだ。この「松葉」という地域は、これといって何があるというわけでもないので、地元で特に解説される資料を見ない。この「松葉」の原風景の雰囲気を感じられる言い伝えは、お隣の郷野目地域側の資料。そちらから眺める。
西在への道筋~里道⑤~方木田附近散歩⑫_a0087378_714172.jpg 言い伝えの「現南町と郷野目の境を流れる荒川の上流」とある「荒川」は、おおよそ大森川のことだ。それなのに話の中に「大森川との分岐点」ともある。巨視的に見れば現大森川と現馬川が合流するのだが、現馬川はその直前に北島から流れ込む川筋(荒川を原流かな?)と合流している。狭義でどちらが荒川になるのかは今のところ分からないが、そんな経緯のためと想像する。
 なお、現馬川の川筋は、古い資料では石田渠分渠の一つ。ここでいう荒川も荒川渠という見え方の影響のようだ。

 塩鮭紛失の場面は、この辺りの字界の状況が分かっていることを前提にしている。
 現115号線バイパスを横切った後の風景だが、現馬川は、この里道と会津街道の間を流れるのだが、その馬川と会津街道の間を方木田村と大森村の字界道が走っている。ここで「北島集落」とあるのは、その字界の大森村分会津街道沿いの集落を指すようだ。
 「松葉の狐」
 現南町と郷野目の境を流れる荒川の上流、大森川との分岐点の方木田側を松葉と称し今は開墾されて昔日の面影は止めないが、ここはうっそうとした森で、昼でも寂しい感じの場所であったらしく狐なども棲んでいたようである。
 もっとも近い集落が本方木田で、ここの某家はおばあさん一人暮らしであった由、冬は松葉に棲む狐が子狐を連れてコンコン戸を叩き、暖を求めたとか。情深い老婆は囲炉裏火で暖をとらせ、朝早く人目につかぬように帰す毎日を続けた由、たまたま年末に独り言のように毎日こんなに面倒を見たのだから畜生でも少しは恩を感じるだろうとつぶやいたところ、それから間もなく雪の夜、大きな塩鮭一尾をおばあさんの家の入口に置いていったものがあり、雪の上を引きずった跡があったと。狐が採暖の御礼におばあさんに恩返ししたのだろうと、作り話のようなことを子どもの頃、雪の夜話に年寄りによく聞かされたものである。
 また、この塩鮭がどこから運ばれたか、それには大森村の某が福島町から夜特別おおきい塩鮭を買って帰る途中、松葉から程近い北島集落附近で見慣れぬ女性に道を聞かれ荷を下ろして小憩した際かんじんの塩鮭が紛失したというつけたりがある。

 狐の出そうな風景ともとれるし、信夫の里の狐たちで整理したような寺の道場とかかわる宗教的な狐ともとれる。
by shingen1948 | 2013-12-21 07:06 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)