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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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成田薬師堂③~吉倉散歩~福島の建築43

成田薬師堂③~吉倉散歩~福島の建築43_a0087378_664139.jpg ここの整理で迷った事の一つが、「成田薬師堂」とするか、「成川薬師堂」とするかという事。
 半沢氏の「歴史地図」では「成田薬師堂」と表示されるこの御堂は、「成川薬師堂」と表示されることが多い。これは、明治9年6月に成田村とその西手の赤川村とを併せて成川村となったこととのかかわりだ。赤川村と対比して、成田村側の薬師堂とみるか、併せて1村となった成川村の薬師堂とみるかの違いでしかない。
 ※ 「信達ニ郡村誌」に、「本村(成川村)は、明治9年6月に成田村と赤川村を併せて1村となし、今の名を命く」とある。
 とりあえず「成田薬師堂」としたのは、棟梁金子周助氏のお弟子さんとのかかわり。
棟梁金子周助氏のお弟子さんは、あちこちにいらっしゃるようだが、そこでは赤川村を隣村としているようなのだ。それで、ここを金子周助氏の仕事として整理するには、「成田薬師堂」とした方がいいかなという単純な理由。

 もう一つ迷ったのがタグの付け方。
 棟梁金子周助氏の仕事のタグを「神社」として整理し始めたら、この「薬師堂」、それ自体も仏教のイメージであるだけでなく、ここは「成田庵」ということのようで、その「薬師堂」という位置づけのようなのだ。上の写真の左手の建物の影にあるのが、その宇堂らしい。
成田薬師堂③~吉倉散歩~福島の建築43_a0087378_6131051.jpg
 ここを西手から見たこの写真の建物がそれで、そこには「木造阿弥陀如来像」が安置されているとのことだ。これが福島市指定文化財になっているとのこと。福島市のページに紹介されるこの「【市指定】 木造阿弥陀如来坐像」が、この宇堂の阿弥陀如来像だと思われる。
 http://www.city.fukushima.fukushima.jp/soshiki/60/bunka190.html
この「成田庵」の御本尊がこの阿弥陀如来像で、上鳥渡観音寺第九世慶弁法印が、宝暦年中にここの薬師堂に隠居されたときに、上鳥渡観音寺から招来したとの言い伝えらしい。
「続道端の文化財」には、檜材の寄木造りで、高さ38cmの仏像で、製作年代は江戸時代だが、藤原時代末期から鎌倉時代初期の様式を伝えると紹介される。
 それで、タグを「寺社」とするが、権力者がかかわる大きな仕事を整理したいということではなく、地域に普通に建っているお堂を、大工さんの仕事として見て見たいと思っているだけ。
 なお、半沢氏の「歴史地図」には、この「成田庵」の境内に、俳諧師信夫連のメンバーさつき庵師安(菅野助次郎)とふでの舎4巻(金子木喜平)の顕彰碑、馬頭観音堂(ワイワイ観音)のメモがみえるのだが、その詳細は分からない。
 思い出せば、お堂前の馬頭観音の石塔が気になったが、これが関わるのかどうかは分からない。
 情報として、「福島市史」では、周助氏は翠羽山人と号していたことが紹介されているのも見る。棟梁金子周助氏は、粋人でもあったらしい。
by shingen1948 | 2013-10-18 06:14 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)