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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」~ 第30話「再起への道」④

 鶴ケ城三ノ丸の博物館入り口に秋月悌次郎の北越潜行の詩碑を建つのは見ていたが、立ち止まる事はなかったな。聞けば、今も会津の吟詠家に最も愛誦されている詩の中の一つなのだとか。この詩と.「海潮枕に到り(安部井政治)」、「独木誰か支えん(永岡久茂)」が、会津人の三絶句なのだとか。
 今回、秋月悌次郎が、猪苗代謹慎中にひそかに越後に赴き奥平謙輔(長州参謀)に合う事が出来て、二人の少年を託すあたりを整理した。
 この「北越潜行の詩」は、その奥平氏に直接会えて話をまとめた帰途に、坂下の束松峠まで来た時に詠んだ悲壮の絶句のようだ。これを機会に、その「有故潜行北越帰途所得」を確認しておくか。

 有故潜行北越帰途所得 会津 秋月胤永
              故(ゆえ)有りて 北越に潜行す 帰途(きと)得る所 会津 秋月胤永
 行無輿兮帰無家  行くに※1輿(こし)なく帰るに家なし
 國破孤城乱雀鴉  国破れて※2孤城雀鴉(じゃくあ)乱る
 治不奏功戦無略  ※3治(ち)は 功を奏せず戦いに略なし
 微臣有罪復何嗟  ※4微臣罪あり また何をか嗟(なげ)かん
 聞説天皇元聖明  聞くならく天皇元より聖明(せいめい)
 我公貫日発至誠  ※5我が公の貫日(ひびにかかわりなし)至誠を発す
 恩賜赦書応非遠  恩賜の赦書(せきしょ)は まさに遠きに非ざるべし
 幾度額手望京城  幾度(いくど)か手を額にして京城(けいじょう)を望む
 思之思之夕達晨  之(これ)を思い 之を思えば夕晨(ゆうべあした)に達す
 憂満胸臆涙沾巾  愁いは胸臆(まんきょう)に満ちて涙は巾(きん)を沾(うるお)す
 風淅瀝兮雲惨澹  風は淅瀝(せきれき)として雲は惨憺(さんたん)たり
 何地置君又置親  ※6何(いず)れの地に君を置き 又親を置かん
 (自分のための勝手な注)
 ※1 輿=乗り物
 ※2 孤城=鶴ヶ城 孤城となった鶴ヶ城には雀鴉(すずめやからす)が乱れる
 ※3 治=政治 略=戦略
 ※4 微臣罪あり=亡国の罪は我等力なき家臣にある
 ※5 我が公(松平容保) 日々を貫く行いは(天皇に対する) 至誠からのもの
 ※6 君=我が公(松平容保)や親=我らが親を、安らかに置いてさしあげられるか

 <現地案内板のこの詩にかかわる部分抜粋>
 北越潜行の詩は、会津藩士秋月悌次郎が、戊辰戦争直後の明治元年10月、藩の減刑嘆願等のため、越後駐留中の旧友・長州藩士奥平謙輔に使いしての帰途、越後街道束松峠で、雀鴉乱れる廃墟を懐って感あり詠んだ詩。
 微妙な違和感が二つ。
 「旧友・長州藩士奥平謙輔」の「旧友」という部分と「藩の減刑嘆願等のため」という目的部分の主目的が藩の減刑嘆願という部分。
 目的部分だが、確かにそうだろうが、その上位目標に「未来の会津を託す」という強い思いを感じる。その為の下位目標としての減刑嘆願であり、未来を背負う少年の教育を依頼するということがあったのではないかなと当方の勝手な思いとのギャップかな。
by shingen1948 | 2013-08-06 05:10 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)