地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」~ 第29話 「鶴ヶ城開城」④

 具体的にイメージ出来ないと散策が楽しめないのは習性だが、その意味で今回のドラマ視聴でお世話になったのが、図書館に掲示されていた鶴ヶ城の「鳥瞰図」。
 この図、東邦銀行会津支店の白井祥隆氏が製作し、同銀行が、窓口や観光関係機関で利用客や観光客に配布したものらしい。(江戸期の鶴ケ城紹介 東邦銀行会津支店が「鳥瞰図」作製
 http://www.minyu-net.com/osusume/yae/130426/handsome3.html)
 具体的にイメージするのに、気軽に見ていたのだが、確認していくとこの絵図かなり正確なのではないのかなと思えてきた。少なくとも、割場の辺りは実際を反映していると思われる。
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 そう思ったきっかけが、「火の見櫓」。ここで打ち鳴らされる鐘を合図に入城するという手筈だったはず。籠城戦のスタートである入城の混乱とかかわるのが、この「火の見櫓」なのだ。
 この「火の見櫓」については、次のような情報がある。
 この「火の見櫓」は、最初は4本の柱を四方に建てて、その中央をハシゴで昇降するものであった。それが、文政年間、野村治助が普請奉行であった時に、木の柱では火災に対して危険であるとして、土を高く盛って、その上に二層の櫓を建築した。そのとき、各郭門にも半鐘を設置し、火の見櫓から半鐘の音が聞こえたらただちに郭門でも半鐘を鳴らすようにした。
 「火の見櫓から半鐘の音が聞こえたらただちに郭門でも半鐘を鳴らすようにした」の部分だが、別情報と照らし合わせると、改築によって、音の響きが悪くなったことによる対応らしい。
 改変前の囲っていた板が、共鳴板になっていたことで、遠くまで聞こえていたのだが、その撤去で音が響かなくなったという事情らしいのだ。
 この情報と照らし合わせてこの絵図を見れば、「割場」の文字の脇に描かれる「火の見櫓」は、この時代の改変されたものが描かれているのが分かる。
 また、今回の震災のための仮設住宅建設に伴うこの割り場附近の調査では、それまで描かれていた絵図と大差ない結果らしい事が報告されている。この時に、この「火の見櫓」の位置も特定されているらしい。
 これ等の情報も含めて照らし合わせれば、この鳥瞰図に描かれる割場の風景は、かなり正確な描写であることが分かる。
 ということで、「東邦銀行」のマークがあったことをもとに、この資料の原典を推定し、敬意を込めてそれを明記しておくことにした。
a0087378_6101272.jpg
 なお、「最初は4本の柱を四方に建てて、その中央をハシゴで昇降するものであった」という鳥瞰図は、街中で見る事ができる。こちらは、会津図書館蔵の絵図が原典らしい。

 籠城のための入城の混乱を、「会津戊辰戦争」の情報も併せて想像してみる。
 まず、北出丸の戦いの合図でもあるかのように、鐘付堂の鐘が鳴る(会津戊辰戦争)。これがスタートかな。それを合図に、この割場の半鐘が鳴り響いたのだろう。そして、新たに得た情報によれば、これが聞こえた郭門でも半鐘が鳴らされたということかな。これらを合図に、続々と入場しようとした人々が埋門に集まり出すのだが、その時には、既に「会津戊辰戦争」がいう北出大手門の戦いが始まっていて、隣の追手門付近では戦闘状態になっていたという事になるのかな。
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by shingen1948 | 2013-07-30 06:16 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)