台畑(南矢野目)周辺を歩く⑦
2013年 04月 10日
展示される土器は、「ふくしまの歴史」にある「出土した土器から、弥生時代中期のものと考えられています」とある時代比定にかかわった土器かな?
展示される石庖丁にはその出土されたとする表示はなく、弥生時代に使われた石庖丁といった感じの表示。「ふくしまの歴史」ダイジェスト版に、縄文時代から弥生時代にかけてつかわれていた石器復元品の写真が載っているが、それかなとも思う。
それでも、本文の方に「福島市内では台畑遺跡だけでなく勝口前畑遺跡でも石庖丁が発見されているので、弥生時代に水田で稲作が行われていたことが分かります」とある。この遺跡から石庖丁が発見されたことは確かなことなのだろうとは思う。
遺物の現物を直接目にすることができるのは、貴重かな。
ちょっと気になるのは、ダイジェスト版では勝口前畑遺跡の遺物と紹介される甕の写真があって、それとこの甕の差異は素人には分からないなぁということ。
「ふくしまの歴史」では、台畑(南矢野目)遺跡の弥生時代の水田の痕跡については、次のように説明される。
福島市で一番古い約2000年前の水田が発見されています。福島市内でも、弥生時代に米作りが行われていたのです。石や木の道具で水田を作り、農作業をしていたため、現在の水田から比べると小さな水田です。水田を作った人が生活をしたむらはみつかっていません。そこには、発見された弥生時代の水田の写真が掲げられる。その解説では、畦で囲まれた処で稲作を作るらしいが、その一枚の水田の面積は、大きいものでも11.3㎡、小さなものでは1.93㎡と紹介される。
自分の感覚に近づけるのに勝手に畳で換算すれば、1畳~3畳の広さかな。
散歩人としては、その位置が気になるところだが、本調査の遺構配置図と見比べれば、「台畑遺跡」遠景の写真にみえる調査区の南端近くのような気もするが、よくは分からない。
台畑遺跡推定範囲内の調査は、宅地造成計画に伴う記録保存の必要とされるところが実施されたということだ。従って、遺跡としては破壊されることを前提としている。せめて、その位置が現況の地図でも確認できる情報としてほしいものだと思うが、一散歩人の勝手な思いでしかないかもしれない。