信夫の里の狐達⑯~信夫の里の独国和尚②
2013年 03月 16日
地蔵堂前に建つ案内柱によれば、金福寺は、明治初期消失し清明町の真淨院に移されて、その跡地に建つのが地蔵堂とする。
「信達一統志」では、金福寺と地蔵堂については、以下のように解説される。
金福寺北沢又小学校の案内板とここに建つ案内柱から、金福寺本堂は地蔵堂の北側をイメージしていたのだが、この案内からは、地蔵堂の西手をイメージした方がよさそうだなと思う。
路の西にあり、開山祐快和尚、正徳2年10月5日建立。福島真淨院末寺なり。
地蔵堂
路の傍寺の前の東にあり、8月24日祭礼也(屯人尊信す)
その「信達一統志」では、ここに「独国和尚碑」が建立されているとする。
独国和尚碑また、「福島市史」近世Ⅱの「五台独国」解説では、「北沢又の川寒金福寺跡地蔵堂停に「五台遍照独国大和尚」と大書した石塔があり」とある。
路の傍にあり、此僧ハ羽州五台山文殊菩薩(米沢)之折誓し、仏法の真密を悟る近世の名僧なり。
近年の情報によれば、地蔵堂の左後方に塩釜石より少し堅いだけで割合風化しやすい石で、高さ五尺に近い石碑とのことだが、この碑が見つけられないでいる。
位置的には、このあたりなのだが、この石碑は大きさが合わない。1尺が約30㎝とすれば、この碑は、その1尺程度。5尺なら150㎝高の石碑ということになるはずだ。移動かなとも思って、西裏の墓地付近にも行ってみたが、そちらでも見つからなかった。