「11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち」映画視聴記録の再整理
2013年 01月 24日
小心者なので、作品の毒に近づけずに、テレビのワイドショーの姿をお見受けするだけだったが、間違いなく新藤兼人監督、若松孝二監督と同じように、自己を貫く映画に徹した方だったと思う。
その自己を貫く映画に徹した方の訃報が続くという印象がある。
そんな事を考えている中で気になってきたのが、「11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち」の映画だ。気になりだしたのは、若松孝二監督は、何故、今になって撮らねばならないと思ったのかということだ。メッセージ性の強い社会派作品を撮ってきた若松孝二監督の感性が、今になって何を嗅ぎ分けたのかだ。
その観点から視聴記録をもう一度整理し直しておこうと思う。
まずは、現実の世界として確認する。
この事件は、1970年11月25日、三島由紀夫は自衛隊の国軍化を求めて自決したということ。当時、これは衝撃的な事件だったという感性的な記憶であり、受け止めとして、三島文学の作品と現実がクロスしたものとして理解していたものだった。
文学的な世界でみれば、三島が追い求めたのは美しい日本の原理としての天皇ということかなと思っていた。
これを若松孝二監督の感性がどう描き出すのかという興味で映画は視聴した。
最近になって気になりだしたのが、文学が現実化してきているように感じてきたことだ。三島由紀夫が描く小説の世界に、現実の世界がめり込んでいくという気配を見せているように思えてきていることだ。
事件当時の首相であり、自民党総裁でもあった佐藤栄作氏は、「気が狂ったとしか思えない」と突き放したはずであり、三島作品が嫌いではなかった自分も、現実の世界としては奇異な感じを抱いていたはずだった。
ところが、現在は首相の安倍晋三氏が、自民党総裁になると直ぐに国防軍を言いはじめた。確かに、自民党には自衛隊を「国防軍」にする公約があるらしい。そして、安倍氏は、改憲重視の岸信介元首相の孫であるという条件もある。
そして、思いだせば、2006~2007年の首相在任期間の中で突っ走ったのは、「美しい国日本」「戦後レジームからの脱却」とかという言葉に酔った表現で、国民投票法や教育基本法改正を実現した。そこに、中国を中心とした国境紛争が過熱気味という状況も加わってはいた。
最近は控え目にしているようだが、見方としては参議員選挙までだろうとのことだが、政治に疎い素人には分からない。ただ、若松孝二監督の感性が今だと判断したのは、劇場化する現実世界に流される現代を見ていたのかもしかないなと想像する。
※ 先に整理した「11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち」の視聴記録
この映画の視聴記録としては、以下の2回に分けて整理した。
〇 映画視聴記録「11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち
http://kazenoshin.exblog.jp/15600991/
〇 映画視聴記録「11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち」②
http://kazenoshin.exblog.jp/15607944/
「映画監督:若松孝二さん訃報のニュースに接して」、その時点で残念に思ったのは、彼が秋にもう一本撮りたいと言っていた原発の映画が見たかったなあということだった。
http://kazenoshin.exblog.jp/16633010/
「東電をもじくる」ための真実味を出すことと経費削減を兼ね備えた手法に使えそうなニュース映像も最近になって出てきているらしいので、若松監督がタブーに挑戦し、隠そうとしているものを全部ぶちまけるだろうという期待感があった。
若松監督の魅力は、力を抜いてきままに撮った抽象的なファンタジー作品に感性的なものとしてあらわれるということらしいが、自分にとっての期待は、「気張って作る歴史物」だったことが分かる。