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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「阿津賀志山防塁<石母田地区>」現地説明会に出かける

「阿津賀志山防塁<石母田地区>」現地説明会に出かける_a0087378_7123927.jpg 「阿津賀志山防塁」の現地説明会が開催されるという報道を見たので、出かけてみることにしたのは11月17日。鉄道に挟まれた地点とか。
 報じられる新たな状態が見つかったことも興味深いが、ここはなかなか足を踏み入れられない地点であり、原形が残されているということもないかなという興味も。
 個人的には、この阿津賀志山防塁の散歩は、厚樫山に登ってみたのが最初。単に、上から見ればよいのかなという思いつきだった。この辺りなのかなと漠然と分かったような気がしたのだが、山を降りて探ってみると、見えた風景と歩く風景が一致しなかった。これが一致してきたように感じてきたのは最近だ。
 昨年のこの先の三重の土塁になる辺りの現地説明会にも参加した。実は、その辺りとのつながりはイメージ出来るのだが、厚樫山の防塁視点からのつながりのイメージが漠然としているような気もしている。それを確かめてみたいという事もあった。
 なお、昨年の参加時に整理したのは、現地説明会参加前後に散策した初期の鉄道の様
とかかわる事。この頃鉄道でここを越す子規のイメージに興味があったからだ。

 岩山堀り、大規模に 国見・阿津賀志山防塁で初の確認【福島民友(2012/11/13)】」
 http://www.minyu-net.com/news/topic/1113/topic3.html
 国見町教委が阿津賀志山防塁のうち、同町石母田で進めていた第12次発掘調査で、火山灰が固まった「凝灰岩」でできた岩山をくり抜いて造られたとみられる堀と土塁が見つかった。これまでの調査からこのような造りの防塁の存在は推測されていたが、実際に確認されたのは初めて。同町教委が12日、現地で発表した。同町教委は「ここまで岩山を深く掘った大規模な防塁は全国的にあまり見られない」としている。
 防塁は、1189(文治5)年の奥州合戦で、奥州平泉の藤原泰衛軍が、源頼朝の鎌倉軍の北進を防ぐため築いた内と外2重の堀と、土塁からなる防御陣地とされる。
 土塁などが見つかった部分の元々の地形は分からないものの、堀は凝灰岩の岩山を約1メートル70センチくり抜いて造られているという。
 今回は国史跡指定を受けていない地区を調査。推測されていた範囲に土塁や堀が見つかったことから、同教委は今後、追加指定を申請する方針という。
 教委は17日午後1時30分から現地説明会を開く。問い合わせは同教委生涯学習課(電話024・585・2676)へ。

 
Commented by MASA at 2012-12-24 18:00 x
11月17日の阿津賀志山防塁現地説明会に参加しました。その後、森山地区、遠矢崎舘地区、高橋地区、下二重地区と現地を確認しましたが、防塁は川、丘陵等地形をも活用した最終防御線という感じがしました。
Commented by shingen1948 at 2012-12-26 18:59
 お会いしていたのかもしれませんね。

 防塁ですが、地形をうまく利用し取り入れたというイメージ、同感です。
 発掘調査を追いかけてみて、二重堀と一重掘りのイメージが明確になったことがありますが、そのこととのかかわりも。
 もう一つ、今までの阿津賀志山防塁のイメージとの違いは、大木戸の位置的なイメージでしょうか。
 素人の勝手なイメージですが、森山地区が合戦の中心で、その兵たまり場が、その高台といったイメージになるのでしょうかね。

 
by shingen1948 | 2012-12-19 07:15 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(2)