「桑折西山城跡<西舘>」現地説明会の後で②
2012年 12月 13日
今回の西舘の説明の中で、中舘の改変についてふれていたので、その事とのかかわりを整理しておく。
確認したら、中舘の調査が行われたのは2009年で、その8月27日(土)に、「桑折西山城跡<中舘>」現地説明会が開かれていたようだ。
そのこの時にも参加して、以下のように整理している。
○ 「桑折西山城中舘跡 発掘調査 現地説明会」
http://kazenoshin.exblog.jp/8870189
○ 「桑折西山城中舘跡 発掘調査 現地説明会」②~中館西の中壇帯郭
http://kazenoshin.exblog.jp/8875407/
○ 「桑折西山城中舘跡 発掘調査 現地説明会」③中舘西の虎口
http://kazenoshin.exblog.jp/8880318/
○ 「桑折西山城中舘跡 発掘調査 現地説明会」④中舘南東の虎口
http://kazenoshin.exblog.jp/8885033/
○ 「桑折西山城中舘跡 発掘調査 現地説明会」⑤中舘南東の虎口②
http://kazenoshin.exblog.jp/8889810/
○ 「桑折西山城中舘跡 発掘調査 現地説明会」⑥大手門
http://kazenoshin.exblog.jp/8895403/
○ 「桑折西山城中舘跡 発掘調査 現地説明会」⑦~出土した遺物
http://kazenoshin.exblog.jp/8900103/
○ 「桑折西山城中舘跡 発掘調査 現地説明会」⑧~説明会を終えて
http://kazenoshin.exblog.jp/8905444/
これは、昨年の時点での南東の虎口付近の様子。
この「桑折西山城中舘跡 発掘調査 現地説明会」④と⑤で整理した中舘南東の虎口の昨年度の段階での現況ということになるかな。
今回の説明にある中舘の改変は、「桑折西山城中舘跡 発掘調査 現地説明会」②~④あたりで整理した「中館西の中壇帯郭」や「虎口」がかかわりそうかな。
この時点で、この改変について整理したのが、「桑折西山城中舘跡 発掘調査 現地説明会」⑤だが、今回の説明での仮説と微妙に違っているように思う。
それとかかわるのかどうかは分からないが、説明会参加者のこそこそ話は白石城。家に戻って確認すると、今回の震災にかかわる調査の中で、蒲生郷成が白石城代の頃の石垣が確認されたらしいことがうかがえるが、その詳細は分からない。
白石城は、天正18年(1590)伊達政宗が、豊臣秀吉に臣従するまでは、伊達氏にかかわっている。以降、白石城は会津の支城となり、若松城主となった蒲生氏郷の支配下に置かれ、その城代が、重臣の蒲生郷成だった。この時に益岡城と改称され、織豊系城郭として改修が行われたが、その詳細は不明だとされていたという経緯の中らしい。
慶長3年(1598)氏郷が急死し、秀行が宇都宮へ移封されると、若松城主は、上杉景勝になり、それに伴って家臣の甘粕備後守景継が城代となる。この時、再び改称され白石城となっている。
「桑折西山城中舘跡 発掘調査 現地説明会」⑦の出土した遺物も、今回の説明とかかわりそうかな。