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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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中田観音②

中田観音②_a0087378_56334.jpg
 中田観音の最寄り駅は、只見線根岸駅で、この直ぐ脇の踏切前に案内板が建つのだが、駅からはこの案内板の裏しか見えない。あくまでも、車への案内。
 この根岸駅前の踏切を横切るように導く中田観音へ導く案内板は、「野口英世ゆかりの地」として中田観音と旧新鶴村の施設案内も兼ねる。この案内板に、中田観音堂と「野口英世博士、中田観音御礼詣」の写真が掲げられる。
 「野口英世博士、中田観音御礼詣」
 大正4年9月15日、母シカが信仰していた中田観音に御礼詣する野口英世博士と小林栄先生
中田観音は母シカさんが英世の火傷の治癒と立身出世を願い10里(40㎞)の道程を月詣りしていたことで知られる。
中田観音②_a0087378_5164174.jpg
 案内の意図は、会津が誇る野口英世博士が、母シカさんと御礼詣した中田観音ということだと思う。結果的にはそういうことだが、感心するのはその信仰心のようなもの。
 シカさんは、ごく日常的なこの地域の人々の心の持ちようを代表している姿とも見れる。息子の火傷の治癒と立身出世という現世的な願をかけに、毎月欠かさずにやってくる。翁島から会津若松の新城酒店(末廣)で休憩した後、ここまで徒歩でやってくるというその心の持ちようは、この地域に根付いた姿とも見ることができる。
 そういう日常的なこの地域の人々の心の持ちようが、文永11年(1274)頃から脈々と続いているということなのかな。

 どうでもいいことだが、この日も野口英世博士は過密なスケジュールだったようだ。
 前日には、耶麻郡医師会主催講演の後に若松の東山温泉新滝に宿泊していたと思われる。この日の朝、親友の石塚三郎氏が、博士の自宅に訪れるらしい。午前8時に母シカ・小林栄氏、そして、この石塚三郎氏と共に新鶴村の中田観音に参拝するとあるが、どこで合流したかは分からない。この後午後2時には、北会津郡役所で会津1市4郡医師会主催の講演をし、午後4時には、官民合同歓迎会、午後5時に新滝で医師会主催の歓迎会に出席しているらしい。この日も、新滝泊かな?

 なお、先に整理した翁島駅に降り立った9月8日の日程は以下のようだ。
上野駅午前7時6分発の列車で、郡山駅で友人の八子弥寿平市、村長の二塀蓮三郎氏の出迎えを受け、午後4時20分に翁島駅着。
 ここから翁島小学校に向かい、ここで出迎えた村民800名に帰国の挨拶をする。そこから八幡神社に参拝。その後、集落の家々を個別に挨拶して、長照寺で先祖の墓に参拝後に、自宅に戻ったとか。
 翌日9月9日は長浜の湊谷旅館で翁島村歓迎会、10日は小林栄宅訪問、11日には闘病中の友人の父六角謙三氏見舞、12日には猪苗代高等尋常小学校同窓会で講演、13日には午前8時に猪苗代高等小学校で講演、11時に猪苗代町江戸亀旅館での同窓会創立会に出席、14日午後には喜多方町立小学校で耶麻郡医師会主催講演、若松の東山温泉新滝に宿泊。そして、この15日の日程という事のようだ。
 この後、16日には県立会津中学校等主催の講演会をこなし、翌17日には、午後2時に福島市の県会議事堂で福島県医師会臨時大会記念講演をし、午後5時に医師会の歓迎会に出席し、飯坂温泉に出席、翌日には、伊達駅から東京に戻ったとか。
 出迎えた方々が十分満足なされたことは分かるが、出迎えられた方が満足だったかどうかは分からない。
by shingen1948 | 2012-11-27 05:21 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)