地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

模擬原爆と福島⑩~渡利の模擬原爆にかかわる本年度の情報確認

 今回の講演会に参加したのを契機に、本年度、模擬原爆にかかわる情報がどう流されたかを確認すると、適切な時期にその情報が流されていたことが分かる。その事は、当方には、この夏にはまだそれを感じる心の余裕がなかったなぁということの確認でもある。
 確かに、今までの夏には、8月6日の広島、8月9日の長崎原爆投下、そして、日本の終戦の日8月15日ということで、戦争にかかわる報道を普通に感じていたことだった。

 先に整理した「弟奪った「模擬原爆」に原発事故重ね 大事なこと知らされねぇ」【東京新聞】が報じられたのが7月18日。この記事は、今回の原発事故でも、渡利地区がその被害が大きい事との関連づけて報じられたものだが、タイミング的にもいい時期だなと思う。
 8月6日の広島、8月9日の長崎原爆投下に向けた8月5日には、福島民友編集日記で、今回の東京電力福島第一原発事故を機に深まった広島長崎との関係性について述べるその前段として、この模擬原爆投下にふれているのを見る。
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a0087378_513662.jpg そして、8月15日の戦後日本の出発点とする記念日には、地元紙福島民友の「ふくしまの歴史の詩31」に「模擬原爆の破片残る「瑞龍寺」福島市」~「戦争の悲劇今に伝える」の記事があるのを見る。
 そのタイミングと共に、渡利の模擬原爆が、戦争を考えるきっかけとして位置付けられていることにも感心する。
 更に、この記事、瑞龍寺にスポットを当てている事が特徴なのだが、その事によって、もう一つ成程と思ったことがある。
 それは、「福島と戦争」の「模擬原爆」の戦争を語る拠点としての瑞龍寺が紹介されている事だ。そういう意味でいうと、残念に思うのは、「グランド0地点」にかかわる位置表示がない事かな。
 さて、この記事で渡利にかかわる部分を確認すると、着弾の様子を以下のように記される。
 午前8時35分ごろに投下された爆弾は、同市渡利地区の上空でさく裂し、バリバリとすさまじい音が響き、周囲は一瞬火の海のような明るさに包まれた。
 爆風で渡利小の窓ガラスが全部割れ、飛び散った爆弾の破片や爆風で半径2㌔付近の民家の屋根瓦も崩れた。爆弾が落ちた地面には直径約35mの巨大な穴が開き、300平方㍍の池ができたと記録が残る。爆撃で田んぼに出ていた14歳の少年が犠牲になった。
 終戦間近の1945(昭和20年)7月20日のことだった。

 今回整理したこととかかわる部分で、微妙な違いだけ確認しておきたい。
 その一つは、「上空でさく裂し」という部分。
 自分は着弾してさく裂したとイメージしている。したがって、「周囲は一瞬火の海のような明るさに包まれた」というイメージよりは、バリバリとすさまじい音の響きのインパクトが強かったように感じているということかな。
 「爆風で半径2㌔付近の民家の屋根瓦も崩れた。」とあるのは、時計が止まった農家が、爆心地から100mで屋根瓦が吹き飛んだという情報と、福島駅前事務所被害等を合わせた表現かな。
 この爆撃を「米軍資料では、爆撃は、当時、福島駅西側にあった軍需工場を標的にしたものだったが、風に流され渡利地区に落ちたとみられる。」とするのは、爆撃計画目標とのかかわりらしい。この記事でも、少なくとも信夫山の地下工場目標ではないという意味では同じ感覚だと思う。
 今回の講演会で狙ったのは福島駅付近かなと感じたことで、微妙には違いも。
 更には、ここでも瑞龍寺の破片が、日本で唯一の模擬原爆片としていることも、微妙には違うかな。
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by shingen1948 | 2012-11-08 05:20 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)