模擬原爆と福島⑨~渡利の模擬原爆にかかわる遺物情報②
2012年 11月 07日
講演会の中でも示され、福島市ホームページには、「8時34分で止まった柱時計」として紹介されている。
http://www.city.fukushima.fukushima.jp/soshiki/1/15.html
「8時34分で止まった柱時計」爆弾投下或いは着弾情報としては、8時34分、8時33分、8時30分過ぎかな。この中の8時34分とすることとかかわるのかな。
柱時計は、模擬原爆の爆弾が炸裂した衝撃と爆風で投下時刻の午前8時34分を指したまま動かなくなった。
この柱時計を所蔵するお宅は、爆弾が落ちた場所から100メートル位のところにあり、当時の渡利では、まだ珍しかった瓦葺きの屋根であった。
しかし、そのもの凄い爆風で屋根の瓦は、ほとんどが吹き飛ばされてしまったといいます。
今回の講演会の中では、投下された方の手紙も、模擬原爆着弾にかかわる物という意味で貴重だと思う。許可を得ていないが、写真自体がぼけているので問題ないかなと勝手な解釈で。
特に、投下と着弾にかかわる地図は、情報としてもいろいろな事を語りかけてくるということで、貴重なものだと思う。
逆に、ネット情報にある模擬原爆片の遺物にかかわる情報の中で、どうかなと気になるのがある。
その表示に、福島投下目標にかかわる事で、「新潟県への原爆投下を想定し、信夫山の地下工場をねらったものがそれて渡利地区の田んぼに落下し……」とある。その「信夫山の地下工場をねらったもの」という根拠が分からない。
専門の方の予測に間違いはないのだろうが、素人の感覚では「信夫山の地下工場」は中島飛行機とかかわるはず。もし、それを目標とするならば、他の空爆方法で、しかも徹底的にやられたのではと勝手に思うだが、……。散歩人の戯言かな。
その爆弾片は歴史館のもののようにも見えるし、違うようにも見える。違うのなら、福島には模擬原爆片が3個あり、歴史館のものと同じなら、福島には模擬原爆片が2個あるということかな。