模擬原爆と福島⑧~渡利の模擬原爆にかかわる遺物情報
2012年 11月 06日
今回の講演会に、模擬原爆片として紹介されたのは、瑞龍寺に保管されているもののようだった。これは、亡くなられた方の父親が、息子の命を奪った爆弾の破片を、息子の爆死から十数年後、「息子の供養に」と寺に預けたものと聞く。
講演会では、この瑞龍寺の模擬原爆片が、日本で唯一のものだというような言い方をなさっていた。
この模擬原爆片には二つの意味がありそうかな。一つは、「模擬原爆片」の現物ということ、もう一つが、「渡利の方の命を奪った模擬原爆片」ということ。
ここで気になっているのが、「「福島と戦争」⑨~模擬原爆(パンプキン)投下」で整理した「米軍500キロ爆弾破片」。これは、当時、歴史館に展示されていたもの。
http://kazenoshin.exblog.jp/11229480/
今も展示されているのかどうかは確認していないが、その時の歴史館の案内表示も、「500キロ爆弾破片 福島市教育委員会蔵」とされている。
しかし、福島市に落とされた唯一の空爆が模擬原爆着弾なのだから、これが「昭和20年福島市渡利に降下(投下?)セルモノ」ならば、その模擬原爆の破片に違いないと思うのだ。
先に整理した時には、5t爆弾なのに、500キロ爆弾としている事に着目しているが、今回、仙台空港で見つかった不発弾が250キロとの情報からも分かるのは、500キロ爆弾という言い方は、大型爆弾破片を意識しているという事だ。実際には、それの10倍の当時の人々の常識を越えた超大型爆弾だったことも分かる。
このことは、当時の日本で考えられる輸送力とのかかわりらしい事を考えれば、B29という飛行機それ自体の輸送力も、当時の日本人が考える常識の10倍だったという事にもなるのではないかなと思う。
ならば、予定通りに事が進んだと仮定すれば、福島市街地に2発の5tの爆弾が投下されたはず。これが、当時の常識の10倍の超大型爆弾が、2発ということだ。
確認したかった「充分な殺傷」能力のイメージは、ここでも上方修正されてしかるべきかと勝手に思う。
それはさておいて、素人には、ここに記録されていることも含めたこの模擬原爆片も「当時の人々の想像を超える大きさ」を示す大切な遺物だと思える。それでも、福島市のホームページでも、瑞龍寺のものしか紹介されないし、今回の講演会でもこれが唯一のものだと言われる。
素人考えでは、模擬原爆片が二つあってもよさそうに思う。
その役割は、瑞龍寺のものは、人を殺傷した模擬原爆片として、歴史館のものは、当時の方々の爆弾の常識が分かる模擬原爆片として認めてもよさそうに思うのは、素人考えかな?