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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ「平清盛」視聴~第42話「鹿ヶ谷の陰謀」

 「鹿ヶ谷の陰謀」は、平家にとって都合よい展開のきっかけになる話で、清盛が仕組んだという見方もあるらしいが、ドラマでは実際に謀議があったものとして展開される。
 謀議そのものに対する怒りと、後白河院直々の司令を拒むわけにはいが、比叡山との武力衝突は避けたいという思いには都合よく働いたという二面性が描かれる。
 ただ、「平家物語」の逸話をもとに描くその飲み会は、不平不満をいい合うたわいもない会のようにも見える。

 その会が、多田行綱の密告で事が発覚し、囚われの身となった西光が清盛をののしり、激高した清盛が西光を何度も蹴り倒すというシーンは、「平家物語」と照らし合わせれば、巻2「西光がきられ」のあたりに忠実で、ここでは、もっと過酷な拷問の上に、その場で惨殺される。その子、師高・師経兄弟も斬首。
 ドラマの演出には効果的なこのシーンは、昔から語られていたことということ。
 この事件によって後白河院近臣の実力者は一掃される。

 よそ見の好きな者としては、このドラマの時代は鴨長明が20代で「方丈記」の第2章あたりに興味だが、そこから新たな興味も派生する。
 「方丈記」の以下最後の部分にかかわる話。
 栖はすなはち、浄名居士の跡をけがせりといへども、保つところは、わづかに周利槃特が行にだに及ばず。若、これ、貧賎の報のみづからなやますか、はたまた、妄心のいたりて狂せるか。そのとき、心、更に答ふる事なし。只、かたはらに舌根をやとひて、不請阿弥陀仏両三遍申てやみぬ。
 その中の特に、「不請阿弥陀仏両三遍申てやみぬ。」が、作者の意図として自暴自棄で言うのか本願思想を説明的に述べたのかの解釈が定まらないらしいが、テレビ番組の中での玄侑宗久氏の話がこれにかかわるように聞いた。
 氏が言うには、回数にこだわれば、それは自力で、さりとて1回に念を込めとなればこれも自力だと。この2~3遍というのが、他力の丁度いいところという落ちが、自分としては結構納得。
 こんなことを思ったつながりで、この弥陀仏を唱える事にかかわるのが法然。その法然が、浄土宗の立教開宗の承安5年(1175年)43歳の時が、丁度現在ドラマ進行の時代だ。
 その弟子親鸞の誕生は、承安3年(1173年)4月1日で生まれたばかりで、時代的には後の時代の人だが、誕生地が方丈の庵の地、京都市伏見区の日野ということではつながるみたい。
 時々、ドラマの考証をするのに登場する「愚管抄」の慈円は、ドラマ登場の天台座主明雲により受戒を受け、自らもまた天台座主に任じられるしいうつながり。ただ、その「愚管抄」で明雲を激しく糾弾とか。その糾弾されていることが、ドラマで進行中。

 第42話「鹿ヶ谷の陰謀」の要点をエキサイトドラマ特集「大河ドラマ「平清盛」よりお借りする。
 http://tv.excite.co.jp/detail/nhk_taiga51/story_42.html
 「鹿ヶ谷の陰謀」 
 清盛(松山ケンイチ)に、多田行綱(野仲イサオ)から密告がなされる。京、鹿ケ谷にある俊寛の山荘で、後白河(松田翔太)・成親(吉沢悠)・西光(加藤虎ノ介)・平康頼が、打倒平家の企てをしていたというのだ。怒った清盛は成親と西光を捕らえて真相を明らかにしようする。清盛の今の心中をえぐるような激しいば声を浴びせる西光に激怒した清盛は、容赦なく斬首を申しつける。

 今回の視聴率は、8.9%で、日本シリーズ中継があったのに、前回よりは上昇とか。
by shingen1948 | 2012-11-03 05:49 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)