2012夏の頃~「今から思えば」の資料(つぶねた)を拾う⑦
2012年 08月 28日
例えば「東日本大震災:岡山の桃で復興支援 生産組合が販売 福島から研修中、永倉さん激励も /福島【毎日新聞(2012/8/10)】」の記事、福島県から離れるつもりのない者の視点で読むと、言いたいことが分からなくなる。
こんな読みは、読解力不足による読み違いなのだろうか。
まずは、福島での桃栽培を断念したら、岡山においでください、応援しますと読み取れた。確かに、福島での農業を断念した方にとっては朗報であり、応援メッセージになるだろうか。
別な読みでは、福島の桃が売れなくなったら、岡山の桃が買えるようにしてあげますとも読み取れる。これは、本当はここに残りたくはないのだが、しがらみの中で残らざるを得ない人にとっては朗報となろうか。岡山の桃が十分食べれるようにしますから、ここ福島でも福島の桃を食べる必要はないですよとも、……。
更に別な読みで、福島の桃が売れなくても、岡山の桃が売れた分から5%の支援をしますと読みとるのかな。
昨日整理したような放射能汚染実害の問題を改善して、再生を図ろうとする農家の方々は、この記事をどんな風に読めばいいのかな。
ここを離れたいと思っていないという不思議な人種と見られているらしいことがよく分かるという視点でこの記事を読んでいる自分は、捻くれた見方しかできなくなっているということなのだろうか。
「東日本大震災:岡山の桃で復興支援 生産組合が販売 福島から研修中、永倉さん激励も /福島【毎日新聞(2012/8/10)】」
岡山県総社市の総社もも生産組合などが「福島応援桃」を売り出した。岡山と福島はともに全国有数の桃の産地という縁から、同組合で研修する福島市の桃農家の長男、永倉隆大(たかひろ)さん(20)を励まし、福島を支援しようと企画した。永倉さんは、風評被害と戦う故郷の桃農家の力になりたいと願う。同組合は「岡山の桃を復興に役立てて」とエールを送る。
桃の栽培面積で福島は全国2位、岡山は5位。永倉さんは広い視野で桃栽培を学ぼうと岡山県農業大学校(専修学校)で2年間学び、今年春に卒業した。福島に帰って家業を手伝う予定だったが、昨年3月の福島第1原発事故の後、故郷の選果場は買い手がいない桃であふれ、父一大(かずひろ)さん(51)から当時、「福島で果樹栽培を続けられるか難しい」と告げられた。
途方に暮れる永倉さんを受け入れたのが同組合だった。組合農家7戸のうち2戸は20代で、平均年齢47歳は県内で最も若い。秋山陽太郎組合長(32)は「一緒に日本の桃作りを発展させる仲間。原発事故に負けてほしくない」と語る。
仕事熱心な永倉さんは組合員に見込まれ、手入れが難しい桃の木の世話を任せられることも。期待に応えようと、梅雨の豪雨の中、桃にかぶせた袋の手入れをやりぬき、組合員の語りぐさになった。夜、一大さんとの電話で「岡山の栽培法を教えてくれ」と相談されるのがうれしく、疲れも吹き飛ぶという。
永倉さんの研修は14年秋まで。応援桃は、甘い香り漂う旬の桃の大玉12〜16個が詰められ一箱9000円。売り上げの5%は福島支援に充てられる。永倉さんは「まだまだ未熟だが福島の役に立ちたい」と話している。問い合わせは、農産物直販会社・漂流岡山086・226・0503。【井上元宏】