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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ「平清盛」視聴~第32話「百日の太政大臣」

 前回から、武士として初めて大納言にのぼる平清盛に対比する形で、1159年に清盛によって伊豆・蛭ケ小島に流罪となった「伊豆の流人」頼朝を描く。前回は、流罪となって5年後、18歳に成長した頼朝が、豪族・伊東祐親の留守の間にその娘である八重姫と恋仲になるところまで。
 そして今回は、祐親が八重姫が頼朝の子を宿していることを知り、二人の前に乗り込んでくる。頼朝は必死で許しを乞うが、八重姫が赤子を祐親に抱かせると、祐親は無言で外に連れ出し赤子の命を絶つ。

 「坂の上のサイドボード」のページによれば、監視役の伊豆国豪族・伊藤祐親の娘・八重姫との悲恋物語は有名で、頼朝の物語には欠かせな逸話とのこととか。そして、その原点は「曽我物語」だとか。
 ただ、そちらの殺害方法は、柴で包んで縛り上げ重りをつけて水底に沈める処刑法(柴漬)だったとか。ドラマでは、八重姫の泣き叫ぶ声で想像力を掻き立てる表現。

 その「曽我物語」だが、「曽我兄弟仇討」の有名な物語らしい事は知っているが、実はその内容も、何故ここに頼朝の悲恋エピソードがあるのかも知らない。今までなら部分読み位までの挑戦をしたところだろうが、疲れ気味で、今回は粗筋の確認だけにしておく。
 確認する中で、この仇討の曽我兄弟の祖父にあたる方が伊東祐親らしいことを知る。
 仇討になるまでの対立の発端は、伊豆の武士の間で複雑な所領争いのようだ。その中で、頼朝は、昔産まれたばかりの我が子を殺された恨みがあって、伊東祐親に対立する工藤祐経の方に目をかけたということになるらしい。
 ただ、この「富士の巻狩の仇討物語」は、仇討などという個人的レベルのものでなく、アンチ頼朝、アンチ北条のクーデター未遂だったのではという見方もあるらしい。
 もともと伊豆の小豪族にすぎなかった北条家が、頼朝の舅として急に勢力を伸ばしたことに対する嫉み、出来たばかりの鎌倉幕府の仕組みや恩賞への不満が根底にあるとの見方もあるらしい。
 この北条氏と伊東氏ではかなりの勢力差があり、政子の兄の宗時が「伊東は我が北条家に比べれば大豪族、世渡りに気を使うのは当たり前だが、我々は都の平家のご機嫌などうかがう必要もないのでは」といっているとかという別情報も。

 本題の平清盛の方は、自身と平氏一門の出世物語と、心穏やかでない公家との確執。
 こちらは、出世にそれ程関心もない視聴者にとっては、その出世に驚きの実感も伴わないし、穏やかでない公家の心中を察することもできないのだが、とりあえず、以下に主要な平氏一門の出世状況確認だけしておく。
 重盛は従二位・権大納言兼右衛門督、宗盛は従三位・参議兼右近衛中将、頼盛は正三位・非参議、時忠は従三位参議兼右兵衛督……。

 例によって、第32話「百日の太政大臣」の要点を「エキサイトドラマ特集『大河ドラマ平清盛』」からお借りする。
 「百日の太政大臣」 
 仁安元年、清盛(松山ケンイチ)は武士として初めて大納言にのぼった。前代未聞の出世に、貴族たちは反発するが、摂政・基実(忠通の子:上杉蝉之介)をうしろだてとした清盛の勢いはとまらない。後白河(松田翔太)はそんな清盛の動きをけん制する。一方、伊豆の頼朝(岡田将生)は、豪族・伊東祐親(峰竜太)の娘、八重姫(福田沙紀)と恋仲になっていた。祐親は、大番役で京の清盛のもとに仕えており、その留守の間のことだった。そんな時、八重姫が頼朝の子を宿していることがわかる。頼朝は命にかえても八重姫とその子を守り抜くことを誓うが、それは更なる悲劇の始まりであった。京では清盛がさらに内大臣に就任、清盛はさらなる高みにのぼろうと、五節の会にて舞姫の舞を献上することを思いつく。そして五節の会の当日、貴族のいやがらせで返された舞姫の代わりに、清盛と後白河上皇の前に現れたのは、乙前(松田聖子)だった。

by shingen1948 | 2012-08-25 05:20 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)