半田銀山の囚人労働者エピソード情報②~半田散歩から25
2012年 08月 01日
ここに、半田銀山の囚人労働について、次のように紹介されていた。
本山使役の囚徒は福島監獄の分遺にして、監獄との契約最も其宜(よろ)しきを得、使役権は質悉(ことごと)く弘成館に有りて、囚徒は掛官の命に服役し、看守は只囚人の逃亡を防ぐ而已(のみ)にて、今日までは囚人は一般に従順にして、暴行等を企図する者なし、而して囚人壱人1日の雇工賃は平均金拾弐銭五厘也とすなお、1884年の足尾の雑役夫の賃金は20銭から23銭であったとか。また同じ古河が経営する軽井沢銀山の場合は「職夫一人の賃額を以て囚人一人五分を使用せらる」程度(『日本鉱業会誌』第60号,1890年2月)と報告されているという情報も。
「桑折町史」の資料345は、「明治24年12月囚人使役につき福島監獄との契約書」が掲載される。囚人使役にかかわる部分のみを抜くと、以下のようだ。
○ 使役囚人の員数は、凡そ弐百人と定む。印象としては、賃金は低いものの労働時間等がそれほど苛酷なものとは思えない。
○ 約業は疏水、運搬(坑内)の二種とし、其就役時間は、一昼夜を三分して各8時間とす。(但坑外に使役する場合に於ては、その傭役銭監獄署の定る処による)
○ 前条坑内の傭役銭は、一囚に付1日(8時間)金9銭と定む。
○ 囚人休暇日は、監獄則18条に依るものとする。
ただ、気になるのは、賃金について二つの資料を比べると、広報では12銭5厘とするが、契約では9銭で、広報のそれの3/4でしかないことだ。また、半田銀山の資料では確認できないが、足尾監獄の場合の情報として以下のようなものもある。
当時の囚人は外役の時、亡防止のため2人1組で鉄鎖につながれていたことである。また、獄則を犯せばさまざまな罰則が課せられた。現に足尾監獄では、1886年に10人、87年に4人、88年に3人が〈減食〉の懲罰を受けていることが判明している。収益優先のために人権の低い立場を利用する側面は、表面には出ないが、個人的な感覚では半田銀山の負のイメージだと思っている。