普蔵川~半田散歩から⑥
2012年 06月 29日
更に羽州街道を進むと普蔵川と交わるのだが、ここが国見町小坂と桑折町半田との境界線付近になるらしい。
そこに羽州街道桑折追分と羽州街道小坂宿の境界線を示す標柱が建つ。
ここまでが桑折追分とのことなので、こちらが半田村で、
ここから先は小坂宿ということなので、国見町になるということのようだ。
先に羽州街道としてこの先まで整理したが、今回はこの手前の半田村を中心としたお散歩。
その前に、この普蔵川が、先に散策した半田沼から流れ落ちる亀張水路の延長の一つ水路になっているらしい。
明治43年の洪水の地図を見ると、半田沼の底抜け水がこの川沿いに、土石流の一つとなって押し寄せたのだろうと想像される。
その川沿いには、そのことを想像させる案内板が建つ。
土石流危険渓流川筋にはもう一枚の看板が建ち、ここからやや上流地点付近から下流にかけては、砂防指定地になっていることを表示されている。
阿武隈川水系普蔵川土石流が発生する恐れがありますので、大雨の時は充分注意してください。
福島県
桑折町
防災という観点から見れば、土石流が発生した場合には、この川筋に沿って流れることで、その周辺の被害が最小限になるようにしようという事なのだろうと想像する。
これは、半田公園管理棟に掲げられた亀張水路の概略を示す図だが、この普蔵川は、この図で、亀張水路が二つ水路に分流した北側の水路らしい。一般の地図では、こちらの普蔵川しか記されていないが、分流したもう一本の川筋は、益子神社から半田山に向かう道筋にしばらく沿うように流れ、南側に逸れて行く水路だ。そちらの水路には亀張水路の面影が残るようだが、こちらの川筋は、当時の亀張水路の面影はなく、主として防災のための改良が施される事がメインであったように想像する。
亀張水路を確かめるに、ここから半田山に向かう道筋に入るが、その道筋は「栗和田」が案内される。