映画視聴記録「第五福竜丸」③
2012年 06月 26日
福島フォーラムの「特集:映画から原発を考える」は、原発や放射能汚染を描いた映画を上映することと、どんな未来に向かって歩いていったらいいのかを考えるトークイベントで構成されるらしい。
その上映&トークイベントという趣旨で、13弾:「第4の革命」上映時に、「日々の暮らしから考えた自然エネルギーの活用と共生」と題した、武藤類子さん×藍原寛子さん(ジャーナリスト)のトークイベントが行われたらしい。
失礼ながら武藤氏を存知あげなかったのでどなたか確認する。
市民団体「ハイロアクション福島原発40年実行委員会」の委員長で、「脱原発福島ネットワーク」と共に福島原発告訴団を結成したという情報が見つかった。この福島原発告訴団が、6月11日に、勝俣恒久会長ら東電幹部らの刑事責任を問おうと、業務上過失致傷容疑などで福島地検に告訴したとのことだ。【福島民報(2012/03/17)】 いまだ収束せず、検証も対策も中途半端な原発事故。口では謝罪を言うが、責任はだれも取らない。このままでいいのかという思いは同じだが、自分には、目立つ派手な動きには引くところがある。
ただ、この方は、原発事故以前の日々の暮らしでは、福島県田村市の人里離れた一軒家で、森の暮らしを続けながら、里山喫茶「燦(きらら)」を経営していたという地道な暮らしをしていたらしい。<「ふるさと:原発事故15カ月(1) 森の暮らし奪われ」【毎日新聞(2012/6/18)】>
もともと原発反対運動に関わっていたようだが、「まず自分たちの生活を変えることが大切」と考えるようになったとか。
42歳の時、川沿いの雑木の山の開墾に取りかかり、鍬で斜面を掘り、一輪車で土を運び、3年かけて平地を作って、最初の小屋を建てたとか。
できるだけ自給自足を目指そうと、畑を広げ、ソーラーパネルを設置、太陽熱利用の調理器や温水器も導入したという。「ランプとまきストーブの生活。見上げると満天の星があった」とか。
そして、03年に50歳を前に県立あぶくま養護学校を退職し、退職金で家を建て、きらめく人生を送りたいとの思いで名付けた里山喫茶「燦」を経営していたという。これが、トークイベントテーマ「日々の暮らしから考えた自然エネルギーの活用と共生」とのかかわりなのだろうと想像する。
「ベン・シャーン展」は、どう言い訳しても、福島開催でアメリカの美術館の拒否に敗北し、作品の多くが、福島入りできなかったという。それを低料金とか写真でカバーとかで対応したという福島にとっては屈辱的展覧会と位置付けるべきものだと思う。
しかし、福島フォーラムのこの「特集:映画から原発を考える」の趣旨とは別視点からその観客になって考えているだけだが、この地道な企画はいいなと思う。