地域の人々が伝える祈る心~観音寺と「孝子善之丞幽冥感見の曼荼羅」②
2012年 06月 07日
その資料では、近世は、寺請檀家制の定着を背景に、仏教が人々の間に広く深く浸透していった庶民仏教の時代でもあったとする。それで、勧化本が次々に発刊されたという。その勧化本が、また更に、人々に仏教を浸透させるとともに、人々の冥府観をより明確にしていったというサイクルになっていたというふうに読み取った。
「孝感冥祥録」はそんな勧化本の一つであり、「孝子善之丞幽冥感見之曼茶羅」の台本になる「孝子善之丞感得伝」は、その絵入り本ということらしい。
これらは、念仏勧化と思想善導の有効な手段として活用され、人々の信仰を性格づけるとともに、この地の人々の心に生き続けるようになったものだろうということだ。
この地の人々にとっては、この話の内容が馴染みの地で展開することで、より身近だったろうと想像する。
散歩の帰りに、「内城 八幡宮」の石柱をみつけて立ち寄ったここが、その舞台の一つ鎮守八幡だろうか。
この話の内容が、奇特と現益という地域の人々への宗教勧化活動とかかわることで、しかも生々しく展開されているという状況なので、どう整理していいか難しかった。しかし、地域を知るという観点からは、確認しておくべきかなぁと思った。
更には、震災に伴って多かれ少なかれ、誰しもが無常観を感じた時代とかかわる整理という意味もあるような気もしている。
なお、昨日整理した「孝子善之丞幽冥感見の曼荼羅」の絵解きの情報は、この「孝子善之丞幽冥感見の曼荼羅」は、全国に4幅存在するとされるのだが、その5幅目が見つかったという情報「飯田市にもあった「孝子善之丞感得御絵伝」」へと展開するらしい。
このことが、どういう意味を持つのかを知っているわけではない。
ついでに、この念仏の現益の一つが、治病らしいことも確認しておく。
病苦に苦しむ人々は、その治病の現益を望むのだが、その人々に、称名の誓約の条件のもと、その護符代わりに名号が授与されるということのようだ。
宗教勧化をする側の人々にとっては、現益は、念仏の信仰に誘うための仏の冥慮とするようだ。しかし、病苦に悩む人々にとっては、称名の誓約は、病苦から解放される宗教的処方と解釈され、奇特が起きるという話と結びついて、人々の間に広まっていくというのが基本的な構造になっているようだ。
そのことが、各地の名号碑とかかわることなのだろうと想像する。