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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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粟島信仰④~2012の立春の頃の風景⑩

 淡島様を意識したのは、奥州街道清水宿散歩の寄り道で、さいで地蔵様旧地を探そうとして、「粟島大明神」に出会ったことだった。
粟島信仰④~2012の立春の頃の風景⑩_a0087378_4474297.jpg
 ところが、この淡島様とは前々から出逢っていたらしいことが分かった。
 これは、 時々立ち寄るホームセンター脇の観音堂だが、その脇に「淡嶋宮」の鳥居が……。
 この「淡嶋宮」も、杉妻の粟島大権現様同様にお社だけのようだ。
 「石の仏」のページの「福島の淡島様」によると、「淡島様は江戸時代から信望をあつめ、婦人病に効験ありとされ、現在は、子授け・安産・浮気封じの神としても信仰を集めている」とか。

 淡島様にかかわる信仰を「粟島信仰」としているのは、その出会いだ。
 最初に杉妻の粟島大権現に出会って、「奥州街道清水宿散歩の寄り道、道草、わき道④」で整理した。確認する中で、全国的には、あるいは東北や福島全体でも淡島様のようだとは思ったが、ここでは粟島大権現様だった。その後、「さいで地蔵様」とこの信仰のかかわりを、粟島信仰②と③で整理したが、ここでも「粟島」とした。今回は「淡嶋」宮のようだが、この続きで「粟島信仰④」とした。
粟島信仰④~2012の立春の頃の風景⑩_a0087378_4572793.jpg
 ここは、飯坂古道を確認するのに目印になる観音堂なので、先に整理してあるかなと思ったが、していなかったようだ。
 ただ、この近辺は、今回の震災で都市化整備される以前の土地の様子を揺すり出された土地の一つで、「揺すり出された風景⑲~今からおもえば71」で付近の地図が整理してあった。これはその地図で、「淡嶋宮」と観音堂のあるのは、紫の地点だ。
 赤い線で現したのが飯坂古道の道筋。
 紺色で表したのが小川筋で、この小川は耳取川だったはず。これが、現在の耳取川の始まりの地点につながるということになる。
 この古道から下方にある東西に走る大通りを東方向に水筋かあったと思われる。それに沿う整備前の道筋があって、その道筋が墓地のやや西側の道筋だったはず。黄色い線が、整備前の道筋のイメージ。
粟島信仰④~2012の立春の頃の風景⑩_a0087378_521046.jpg
 目にする粟島信仰は、今のところその社だけだが、東北地方のこの淡島信仰の原形では、右手に粟の穂を持った淡島像という石像ということだった。そして、この石像は、明治時代、大正時代、昭和の時代にも建てられていて、平成の像もあるということで、現在までその信仰は続いているらしいということだった。

 そんな事を気にして歩いていると、意識していなかった石像が目に飛び込んでくる。
 これは、今回の震災で崩れた塀の中に見えた石像。これがどういう石像かは分からないが、大正14年建立は読める。
Commented by MASA at 2012-03-11 18:41 x
飯坂古道に位置する淡島神社に係る地元資料を調べてみたら、興味深い記載がありましたので参考までにご紹介します。いずれも上杉家家臣の小田切家、蒲倉家(腰浜十騎の一騎)に係わる話であり、郷土史探訪の楽しみでもあります。
○ふる里矢野目の歴史と伝承(P205)
淡島神社はもと上杉家の家臣蒲倉氏の屋敷神で・・・。小田切家は現在蒲倉を名乗っていますが、これは小田切氏が上杉家を離れ農民となった際に姓を返上して、無姓となっていたのに対し、久右衛門の代に名主として功績があり苗字帯刀を許されたため、この姓を称したことによります。
○余目の地名の由来(P70)
淡島は、本州付近八島の内の淡路島の別称で、安産・多産・婦人病平癒の神として祀られ・・・・。この地方の「安産を祈る」という・・・・。
○余目の地名の由来〔増補版〕(P13~P15)
蒲倉家の先祖は、会津上杉景勝の家臣・福島城代、本庄繁長公に仕え、瀬上に住んだ家老・信夫の代官、小田切内膳安芸守恒遠です。
Commented by shingen1948 at 2012-03-12 05:08
情報、ありがとうございます。
元々、屋敷神だったんですね。
そんな感じはしましたが、これが上杉家臣と結びつくんですね。

最近、旧市内を巡っていて感じるのは、この地域は水の制御が最重要課題だった土地柄で、そういう意味での上杉氏の貢献の大きさですね。
Commented by 小田切 at 2012-04-14 17:56 x
蒲倉家の孫です。我が家の歴史を調べていたらこのブログを見つけました。大変参考になります。
矢野目の淡島神社は江戸時代末期に淡路島の神社から分けて頂き建てたものです。女の神様だとして教えられて、毎朝手を合わせて通学していました。
ちなみに、小田切と直接関係あるのは観音堂の方です。
先祖が兜に収めて戦った小さな観音像が奉られています。
十騎の子孫は今でもお寺に定期的に集まります。
Commented by shingen1948 at 2012-04-15 06:03
情報ありがとうございます。
ただ何気なく見ていた風景も、そこにこもる思いが見えてくると別風景に見えてきます。それが、散歩での楽しみですが、本当に大切なのは、その思いの方なのでしょうね。
by shingen1948 | 2012-02-17 05:20 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(4)