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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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奥州街道清水宿

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 屋号をもつ家が紹介される奥州街道清水宿略図は、「ふくしまの歴史」でも見たが、これは、現地を散策する「吾妻歴史講座」で配られた「米沢街道を往く」という資料に掲げられたもの。
 いろいろな資料に引用されているようだが、その出典を確認できない。「ふくしまの歴史」の資料では、出雲神社の脇の「吉野や」に窯元の印が見える。


奥州街道清水宿_a0087378_5471114.jpg
 出雲神社の向かいに、杉妻地区時代と思われる案内柱が、阿弥陀堂を案内する。

 清水宿略図中にも、この阿弥陀堂が紹介される。これで、位置関係が実感できる。


奥州街道清水宿_a0087378_5501560.jpg
 その図には、阿弥陀堂の近くに消井戸の記号がある。位置的に、気になったこの用水曹がかかわるのではないかと勝手な想像をする。
 解説にはないが、消井戸は消火用井戸と勝手に見る。それならば、飲料水用の井戸も、あるいは、その併用の井戸もあったはずだと、これも勝手に考える。

 「ふくしまの歴史」で、清水町村の由来となった藤清水いう井戸が、宿場町の南端に近く、街道の東側にあったと紹介する。
 その井戸が、位置的に見て、この図の法院様と米沢やに挟まれた井戸の印と重なるのではないかと想像を膨らませる。
 その井戸は、「清水町村の由来となった」とのことだから、飲料水用を想像する。同時に、愛宕神社や清水院大如来参道脇の位置関係からは清め用水をも、また、街並みと愛宕神社脇の位置からは消火用とも想像できる。
 勝手に、それらを併用した重要な井戸だったのではないかと想像する。
奥州街道清水宿_a0087378_5571832.jpg
 阿弥陀堂参道を挟んだその両脇の屋号を持つ家の位置関係からも、想像を膨らます。
 「賀藤や」の店は想像つかないが、「かさや」は、傘屋だろうか。その隣の十手持は、そのままの仕事だろうか。
 案内はないが、いろいろと想像しながら楽しめる。
by shingen1948 | 2012-01-24 05:59 | ◎ 奥州街道 | Comments(0)