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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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共楽公園への道筋③~気になる「須川南宮諏訪神社」とのかかわり

共楽公園への道筋③~気になる「須川南宮諏訪神社」とのかかわり_a0087378_633984.jpg 昨日は、明治天皇伏拝野立所が、羽山嶽であることにこだわってみた。

 「半沢氏のフィールドワーク地図」には、こことも関わりあって、「須川南宮諏訪神社」にかかわる気になるメモがある。
 「須川南宮諏訪神社」は、共楽公園へ向かう少し手前にあって、由緒有りそうな雰囲気を漂わせて気になる神社だが、その案内は見当たらない。その神社に関わる以下の簡単なメモだ。
 諏訪神社(須南一ノ宮として幕末まで栄えた)51社の総社
 須川南宮の須川は、現荒川筋に近いとみていいはずだと思う。
 現荒川筋は、おおよそが旧須川筋で、旧荒川筋とされる大森川との合流改変によって名称が変更されていると聞く。その須川南の宮である諏訪神社ということと、メモされる「51社の総社」であり、「須南一ノ宮」であることを付け加えてみると、「須川南宮諏訪神社」は、「須南一ノ宮」とされる神社で、「51社の総社」であるということになる。
 その「総社」と「一ノ宮」について、「神道―日本人の原点を知る(井上順孝)」<マガジンハウス>で簡単に確認する。
 「神道の歴史」の項で、神祇制度の変遷にかかわって、地方の神祇制度の独自の展開の例として、以下のように解説される。
 一の宮は、それぞれの国で第一の地位を占めた神社です。(中略)
 総社は、それぞれの国の神社の祭神を一カ所に集めて祀った神社で、11世紀から現れたようです。国司と呼ばれる役人、さらに在地の官人が管理するようになりました。
 こうした神祇制度は貴族が没落していくとともに、衰退していきます。(中略)
 神社のあり方もまた、武家政権との結びつきで、新たな展開を見せることになります。

 須南地域の北辺が現荒川で、東西をそれぞれの山際まで、そして、南辺がこの諏訪神社あたりまでと想像する。
共楽公園への道筋③~気になる「須川南宮諏訪神社」とのかかわり_a0087378_6103649.jpg
 ここに、半沢氏のフィールドワーク地図で、気になるもう一つのメモを加えてみる。
 信夫山大権現(北方)を伏し拝んだというが、諏訪神社を(西方)を諏訪山からとか金沢の黒沼神社(南方)を伏し拝んだからとか諸説あることにも注意

 この「諏訪神社を(西方)を諏訪山から」とある部分だ。このメモの意図を加味すると、拝石の地点が、須南総社(一ノ宮)諏訪神社の奥の院の山にあたるということになる。
 拝石にこだわれば、拝む位置ということではなく、拝まれる石ということでもありそうだということだ。

 街道筋にこだわることで、見え難かったイメージのような気がする。
by shingen1948 | 2012-01-03 06:14 | ◎ 奥州街道 | Comments(0)