地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

ノートルダム修道院解体

 散歩の中で気になった建物を、「福島の建物」として少しずつ整理してきたところだった。その建物が、今回の震災ではかなりダメージを受けて、破壊されたり、解体されたりしている。
 その建物とは全く無縁な者だが、意識の中では景観の一部としてそれらの建物は存在する。関係者には迷惑なことかもしれないが、勝手に残念な思いをいだく。
 先に、ノートルダム修道院解体の情報を得て、いくつかの建物への思いを整理した。a0087378_528810.jpg
 先日、図書館に出かけた時に、実際にそのノートルダム寺院が解体されているのを見かけた。
 
 実際に消し去る瞬間を目にすると、歴史的建築物として何かを問い掛けてくるような気がするのは、第三者である無責任な立場だからなのかもしれないとも思う。


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 白黒になっているのは古い安物のカメラを電池切れで使用した影響で、調整が回復しなかった状態のため。この解体の様子を撮ったのは、12月半ば。

 旧ノートルダム修道院の歴史は、昭和7年(1932)カナダのコングレガシオン・ド・ノートルダム修道会が福島市に5人の修道女を派遣したことにはじまるようだが、勝手に残念な思いをいだくのは建物にかかわる歴史的なことの方だ。


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 まずは、建物の創建にかかわることだ。
 この建物は、国内のキリスト教建築物を数多く手掛けていたチェコ人のヤン・ヨセフ・スワガーが設計し、横浜市の関工務店が設計した洋風のゴシック建築で、昭和10年(1935)に完成したとのこと。散歩人としての興味は、これが当時花園町名にかかわる程の地域自慢の建物だったらしいということ。
 
 その二が、戦争とかかわって過酷な環境を強いられる歴史を刻んでいることとのかかわりだ。
 第2次世界大戦中に、ドイツ船に捕獲された外国民間人140人を収容する抑留所にあてられたことは有名。その時に修道女は会津に追われているという背景があり、戦後は、東京の戦災孤児を受け入れるなどとのかかわりがあったとも聞く。

 その三が、立ち寄った著名人とのかかわりだ。
 この修道院には「奇跡の人」とたたえられたヘレン・ケラーも訪れている。戦前の初来日時に市内で行われた講演では、県内各地から詰め掛けた人たちを感動させたとのこと。この時の様子の聞き伝えを修道院の方が熱く語るのを聞かせていただいた。このヘレン・ケラーが署名した来訪者名簿も戦争で押収されたと聞く。
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by shingen1948 | 2011-12-27 06:12 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)