地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

裏磐梯湖沼群の風景と東京電力②~発電所建設と戦争

 裏磐梯湖沼群の水利と東京電力㈱のかかわりを視点に「秋元発電所」を整理した。しかし、散策の中でここにたどり着くのは、「中国人殉難烈士慰霊碑」に出逢ったことが出発点だった。気になったのは、この頃に「福島と戦争」にかかわって整理していたことがかかわるのかもしれない。
 整理がまだだったのは、その確認も中途のままだったからだ。その状況は変わらないのだが、今回「秋元発電所」を整理したこととのかかわりで、「中国人殉難烈士慰霊碑」を整理しておく。
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 この碑は、半沢氏の「歴史地図」の「猪苗代周辺」のメモと案内板によれば、次のようなことのようだ。

 先の第2次大戦末期には、全国的には4万人の中国人がむりやり連れてこられて働かされている。 福島県でも中国人労働者が、主として会津地方の水力発電所建設現場で働かされ、飢えや寒さによる病気などのため25名が亡くなられている。全国合わせると6805名の中国人の方が亡くなられているという。

 この碑は、この事実を知る福島県内の日中友好関係が、戦後の1965年に広く民間に呼びかけ、1970年に建立されたその追悼のための碑ということのようだ。

 この慰霊碑が建つのは、沼の倉発電所建設工事に携わった方の飯場だった所らしい。この県道を挟んだところには、この発電所の建設に関わる1947年建立の慰霊碑があるという。
 メモによれば、1944年、15年戦争の時、1000人以上の朝鮮人と712人の中国人が、無理やり連れてこられて、発電所を造るための水路工事をさせられたとのこと。ろくな食べ物も無く、着るものも無くひどい寒さの中で、朝鮮人32人、中国人11人が死んだという。

 会津に来る機会に、これら「沼の倉発電所」そして、これらの碑をゆっくりと確認してその視野を広げていきたいと思っている。これらの感覚の延長に、ぼんやり眺めている裏磐梯湖沼群の風景があるのだと思えている。

 電力供給の恩恵を受ける関東圏の方々にとっては、単なるその供給源でしかないのだろうが、これらの経緯があり、その延長に、会津を代表する風景の一つ裏磐梯湖沼群の風景とかかわっている。
 東京電力の発電所を主体とした水管理が、この風景全体を考慮している成果が、裏磐梯湖沼群の風景であるということにも実感を持ちたいと思っている。
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by shingen1948 | 2011-11-28 05:35 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)