「『宮脇遺跡』~第6次調査現地説明会」に出かけてみる⑥
2011年 10月 02日
本年度調査された池の様子は、前年度までに明らかになった東から南にかけての池の様子とつながるものだ。
前年度までに整理した「宮脇遺跡」の中から、その池の広がりの詳細にかかわる部分を抜き出しておく。
○ 2号建物跡(仏堂)の「南東隅」の様子については、平成20年度の「宮脇遺跡現地説明会」で整理している。
○ その2号建物跡(仏堂)の「南東隅」の基壇と池とのかかわりについては、「宮脇遺跡現地説明会④」で整理している。
○ 池がどんな風に広がっているかということについては、「里の霊山寺:「宮脇遺跡」第5次調査現地公開説明会③」で整理している。
○ 建物と、庭園や池などの配置(東側)全体を整理した図が、「里の霊山寺:「宮脇遺跡」第5次調査現地公開説明会②」にある。
これ等に比べ、西側の池の様子は、埋め立てられた整地面に推定されるラインを示しているだけだ。その池の様子を詳細に確認したということではなく、池の広がりの範囲が分かるだけだ。
そのこととかかわって気になるのが、池が埋め立てられた後にももう一つの整地面があるという事だ。
報告書では、その整地面については、土抗3と複数のピットが確認されたとのこと。その中で、底部に粘土ブロックを張って作られ、焼けた痕跡のある土抗(sk04)が特記される。
しかし、そのことより気になるのが、なぜ埋め立てられたのだろうかということと、埋め立てられた整地面の時代のこの寺の様相はどんなだろうかということだ。
専門的には、池と権威との結びつきを主たる知見として展開するようだ。散歩を楽しんでいるだけという者にとっては、地形とのかかわりが気になる。
見回すと、ここは高所ではあるのだが谷地(窪地)でもあるという地形とのかかわりの方が気になっている。谷地(窪地)であるということで、豊かな水と結びつく。それが、豊かな湧水の源と結びつく。そのことと聖地のイメージの結びつきや、その豊かな水量と池の存在が結びつくというたわいもないイメージを持つ。
それとは逆に、水害に遭いやすい地形でもあるということではないかとも思う。池が埋め立てられたこととかかわるのではないかと思ってしまうが、これも勝手な想像だ。
この半年、地震による自然災害としての被害を体験し、原発事故による人災の被害を実感している中に、水害の被害の情報が入るという状況にも実感が伴ってくる。
その事によって見え方が変わっているのかもしれないとも思う。