古舘③
2011年 09月 04日
東西方向の土塁の位置見失わないようにしながら、一度舘内から出て東側を確認する。
土塁の残存と推定されるのは、位置的にみて、この草ぼうぼうの高まりらしい。
ここが、舘の東北隅にあたると推定されていることから、屋敷の規模的なことがイメージできる。
「福島市の中世城舘」は、以下のような全体像を描く。
字古舘での南西隅の遺構から南北約80~90m、さらに東西方向の土塁から東西約220mの館の規模が推定されるが、南東部の遺構が消滅しており、方形単郭と断定できない。
本館に関する文献等はない。
掘跡は、字古舘の南西隅付近にのみ残り、他の地域では観察されない。
この舘では、イメージをはっきりさせてくれたのは、略測図そのものだ。
なお、「福島市の中世城舘」では、「本館の西側には縄文時代の遺構である古舘遺跡が所在する。」とする。
発掘調査資料で、羽根通B遺跡としているのが、それと重なるらしい。羽根通はこの舘の西側の字名で、ここは、塩釜神社の鎮座する羽根山の山裾だ。発掘調査資料では、ここを縄文式土器遺跡の羽根通A遺跡としているようだ。
この舘付近は、資料を見ている時には平野地区の行政区を意識しているが、散策をしている中では自然に大笹生との連続を意識しているので、違和感がない。