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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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古舘③

 この舘の西側の土塁と堀を確認したことで、イメージは広がったのだが、更に「福島市の中世城舘」では、東西方向の土塁の道を挟んだ東側にも、北東角隅の土塁の痕痕跡が観察できるとする。
 東西方向の土塁の位置見失わないようにしながら、一度舘内から出て東側を確認する。
古舘③_a0087378_2443926.jpg 土塁の残存と推定されるのは、位置的にみて、この草ぼうぼうの高まりらしい。
 ここが、舘の東北隅にあたると推定されていることから、屋敷の規模的なことがイメージできる。
 
 「福島市の中世城舘」は、以下のような全体像を描く。
 
 字古舘での南西隅の遺構から南北約80~90m、さらに東西方向の土塁から東西約220mの館の規模が推定されるが、南東部の遺構が消滅しており、方形単郭と断定できない。
本館に関する文献等はない。
 掘跡は、字古舘の南西隅付近にのみ残り、他の地域では観察されない。

 この舘では、イメージをはっきりさせてくれたのは、略測図そのものだ。
古舘③_a0087378_2543381.jpg
 なお、「福島市の中世城舘」では、「本館の西側には縄文時代の遺構である古舘遺跡が所在する。」とする。
 発掘調査資料で、羽根通B遺跡としているのが、それと重なるらしい。羽根通はこの舘の西側の字名で、ここは、塩釜神社の鎮座する羽根山の山裾だ。発掘調査資料では、ここを縄文式土器遺跡の羽根通A遺跡としているようだ。

 この舘付近は、資料を見ている時には平野地区の行政区を意識しているが、散策をしている中では自然に大笹生との連続を意識しているので、違和感がない。
by shingen1948 | 2011-09-04 05:15 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)