「前野遺跡」~「前野八幡宮」
2011年 07月 11日
「志和田舘」を北側から眺めたこの風景も、摺上川北岸の河成段丘上だ。水田や果樹園が広がる風景は、縄文遺跡のある河成段丘とは似合わないが、「志和田舘」も含めた、この高台一帯が、縄文遺跡「前野遺跡」とのことだ。調査歴はないらしい。
その西側のこんもりとした林に、「前野の若宮八幡様」が鎮座する。
「若宮八幡宮」は、多くは宇佐神宮・石清水八幡宮・鶴岡八幡宮などにある若宮を勧請し、八幡神応神天皇の御子神である仁徳天皇を祀るものとのこと。他に、「八幡宮本宮から迎えた新宮」の意味の「若宮」もあり、この場合は応神天皇が祀られているという。
「ゆの村」の「前野の若宮八幡様」によると、応神天皇を祀っているとの言い伝えとのことなので、後者であると推定される。
言い伝えでは、寛文11年(1671)に神社が建てられたとのこと。天和元年(1682)に火災で焼けて、お宮は建て替えられたが、その時期は不明とか。
この神社で目につくのは、ケヤキの大木と地面からはみ出したその太い根。
この前の道を挟んだところが、法道院という寺があったとのこと。この寺がこの八幡宮や赤観音の儀式を司っていたようだが、明治初期に廃寺になったらしい。
その山号が「八幡山」とのこと。
地域の方々は、この付近一帯を八幡様の山と考えていたとのことだ。