事故原因にかかわる報道の推移③~今からおもえば50
2011年 05月 19日
「共同通信(5/15)」の情報では、東電関係者が、津波より前に重要設備が被害を受けていた可能性に重点を置いていた。
「朝日新聞(5/18)」では、12日に格納容器内の排気(ベント)の遅れについて重点を置いて、東電の対応が検証課題としていた。
「NHK」の報道では、その経緯を伝えることに重点を置いていた。素人にも分かりやすい整理だ。その記事から読み取れる概要をメモしておく。
○3月11日午後2時46分 自動停止に成功、非常用発電機自動起動 水温100°Cここに、「共同通信(5/15)」の東電関係者の話として伝える以下の概要を付け加える。
○3月11日午後2時52分 非常用復水器自動で作動(原子炉内蒸気を抜いて水に戻し、再び原子炉に注水する装置)
○3月11日午後3時 非常用復水器停止・水温150°C
<1時間に55度以上下がる場合は停止するマニュアル> (運転員が手動で停止させた可能性)
○3月11日午後3時37分・津波到来
外部電源、非常用発電機の全てを失う
(電源を必要とする非常用の冷却機能は起動せず、温度や圧力、それに水位のデータ取得不能)
非常用復水器作動の形跡なし、起動と停止を繰り返す
○3月11日午後6時18分 非常用復水器起動
起動と停止を繰り返す
○3月11日午後6時33分 非常用復水器停止
○3月11日午後9時 非常用復水器起動 蒸気確認
いつの時点まで機能していたかは不明
○翌12日の午前6時以降、水位が下がっていることを確認
最終的に燃料溶融で発生した水素により爆発
○3月11日夜(「朝日」の津波到着6時間後という情報とNHKの情報を組み合わせると、午後9時と推定される)、1号機の状態を確認するため作業員が原子炉建屋に入ったところ、線量計のアラームが数秒で鳴った。
○建屋内には高線量の蒸気が充満していたとみられ、作業員は退避した。
○線量計の数値から放射線量は毎時300ミリシーベルト程度だったと推定される。
○この時点では、「ベント」措置は取られていなかった。
これは、この時点で既に1号炉の燃料の放射性物質が大量に漏れていたことを表す。
記事では、その事から1号炉の全炉心溶融までの過程を以下のように推測する。
1号機の炉内では11日夜から水位が低下、東電は大量注水を続けたが水位は回復せず、燃料が露出してメルトダウン(全炉心溶融)につながった。
さらに炉心溶融により、燃料を覆う被覆管のジルコニウムという金属が水蒸気と化学反応して水素が発生した。
3月12日午後3時36分の原子炉建屋が爆発した。
ネットでは、実際の水位低下と水位低下の認識の間にはずれがあり、3月11日夕刻には有効燃料頂部露出開始の情報も流れる。