岩代清水の泉と池をめぐる⑳
2011年 02月 20日
清水中の南端の窪地から南側の高まりを眺める。
その窪みのラインをたどれば、95mの等高線を越した南北に走る道筋のお宮付近までのびているような気がする。
その95mの等高線を越した南北に走る道のお宮付近から窪みを確かめる。
ここから眺めた感じでは、窪みを実感することはできない。大坪水源池跡は、ここからはやや左手に見えている。
ただ、左側の中江渠支流と思われる川筋が、用水路としてその高度を保つたように流れる川筋が、高台との境界線を教えてくれる。
その右側にも、神社を挟んだ同じような川筋がある。この二つの川筋の間のやや低地と思われる窪みが、清水中の南端の窪地につながるように観察できる。
ここから扇状地の上部にかけての地形では、窪みを実感できる地点はない。この付近が、この窪みのもう一つの頂点に見える。
半沢氏が記す寛永13年以前旧松川床とする記録と見比べると、こちらの頂点の延長に想像しているように感じるが、どうだろうか。
ここに、「森合史跡地図」にいう「旧松川段丘崖」のポイントとの連続性を確認してみたい。
慎重な言い方は、最近、文書的には松川の信夫山南流を確とするものは見つかっていないという情報を目にしたからだ。
それでも、強い水の力を受けたという想像にたる地形的は存在するようだとは思う。あくまでも散歩での実感でしかないが、……。