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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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里の霊山寺:「宮脇遺跡」第5次調査現地公開説明会④

里の霊山寺:「宮脇遺跡」第5次調査現地公開説明会④_a0087378_5464562.jpg
 宮脇遺跡の南部に石垣跡が見つかったとのことだ。
 この石垣から果樹園にかけて平場が広がる。ここは、本堂跡から一段低い平地になっている。


里の霊山寺:「宮脇遺跡」第5次調査現地公開説明会④_a0087378_5513723.jpg
 報道によると、ここは南北17m、東西30mとのことだ。この平場の土を押さえていたということだろうか。
 その石垣を捉えなおすと、こんな感じだ。


里の霊山寺:「宮脇遺跡」第5次調査現地公開説明会④_a0087378_5541314.jpg
 その石垣を、西側から見ると、その石垣がづっと続いているというように広がっていて、土抑えの役割をイメージできる。


里の霊山寺:「宮脇遺跡」第5次調査現地公開説明会④_a0087378_5575810.jpg
 仏堂の平場の方から見ると、こんな空間だ。右側の細道の先に日枝神社がある。この細道が、日枝神社からこの遺跡に登る時の道筋だ。


 報道では、この成果を宮脇遺跡の広がりという観点で解説されていた。この遺構は、学頭坊とのかかわりかもしれないとのことだ。
 説明会の中では、それぞれの遺構が、石垣等で区分けしている可能性があるとの見方につながるものとしていた。
by shingen1948 | 2010-12-14 06:03 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)