霊山寺縁起と天海僧正②:伊達市歴史文化講演会
2010年 12月 09日
その講演会の中に県立博物館の高橋氏の「霊山寺縁起と天海僧正」という講演があった。
講演の主旨は、宮脇遺跡調査の進展に伴って、関連する文献資料などの再調査も必要ではないかというようなことだった。それで、霊山の由来を語る貴重な文献資料である「霊山寺縁起」をどう読み解くかということに焦点を当てたお話だったように思う。
まず、縁起に登場する大僧正様を手掛かりに、その縁起の成立状況と近世の霊山寺について霊山寺縁起の記述の確からしさを考察し、その事とかかわって「霊山寺縁起」全体をどう読み解けばいいかという問題提起だったように思う。
全体を読み解く時の配慮として、他教団については排除されている可能性を示唆されていた。
霊山が弘法大使信仰、真言密教の霊場であった可能性のある資料が提示される。また、天海の経歴なども含めて、中世寺院では、僧侶は諸宗兼学・兼修であることが紹介される。そして、寺院は、諸宗兼学・兼修の場であるという近世の宗派寺院との違いを説明された。
天海僧正については、そんな中で解説されたものだ。
その事績として、徳川家康の神格化、東照大権現の権威づけで、上方を優越することに焦点を当てて解説される。その関東天台宗の奥州拡大の視点と「霊山寺縁起」の成立が結びつくということだったように思う。
この話を聞いている中で、天海僧正ゆかりの地を訪ねながら、かかわりのあることを結びつけて頭の中を整理してみたいと思った。
ただ、このことのために出かけるのではなく、会津に出かける機会にという変なこだわりがあった。
今回は、それが実現したということだ。