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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「もう一つの奥の細道」⑭~「信夫(忍)の里」⑤

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 子規が極楽と称した「信夫山公園」は、「信夫山公園碑」によると、明治7年に官有地を借りて、県内初の公園として開設されたという。その管理は、福島県から信夫全町村、福島村と転々としていた。
 それが、子規が訪ねた明治26年に、都市公園第1号の[信夫山公園]となって、福島町が管理するようになったということのようだ。
 「信夫山公園」に出向く意識には、「しのぶ」を確かめるという意識も強いとは思うが、この「新たな事」への興味もあったのではないかと思う。
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 その信夫山公園の向かいには、明治12年に官祭信夫山招魂社として、現在の護国神社が鎮座し、その隣には、古くから黒沼神社が鎮座している。(写真は、4月末の花見の頃の護国神社の様子)


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 今もある老舗のおでん屋の創立時期を確認すると、明治23年で、子規が訪ねる3年前だ。

 子規は、公園から酒を飲んで言い争う声を聞いている。その出来事は、その料理屋から聞こえたのではないかと想像したのだ。「『坂の上の雲』⑤~子規と福島」で整理した時に、酒を飲んで言い争う声が聞こえてきた方向を予測したのは、そのことが頭にあった。

 なお、この酒に酔った人は、景色を眺める様子もない人達だったので、子規は月の光は自分にだけ降り注いできたといい、信夫山からの夜景を一人じめできたといっている。

 公園に旅人ひとり涼みけり
 見下ろせば月に涼しや四千軒


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 この公園にたどり着くのに頼りにしたり、福島の町を眺めた時のライティングであったりする月明りを確認すると、かなり明るかったと思われる。
 計算上は満月近い月齢12だったようだ。

 この公園の常夜塔は、安永4年との事で、子規が来た時には、ここに灯がともっていたのだろうか。

 
by shingen1948 | 2010-11-24 06:22 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)