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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「福島と戦争」~そして、長崎

 福島が模擬原爆(パンプキン)を投下された一つの地点であることは分かっていた。しかし、その模擬原爆は、模擬の爆弾ではないということは知らなかった。ここで亡くなられた方は、投下された爆弾に当たってしまわれた方というイメージだった。ところが、戦争展で、この爆弾は4.5tもの火薬を詰めた超大型爆弾であったということを知った。
 練習というイメージと超大型爆弾というイメージが不釣り合いに感じて、気軽に確認しようとしても、なかなか資料が見つからなかった。確認に長引いてしまった。

 この模擬原爆(パンプキン)の投下は、広島・長崎につながっていく。
 自分にとっては、思いもかけない所でその長崎に出会う。古関裕二記念館だ。
 「長崎の鐘」が、古関裕二氏の作品であることは知っていた。しかし、古関裕二氏と戦争ということで自分が持つイメージは、行進曲そして軍歌だった。その時代に合わせた生き方を賛美することに違和感を持っていたところがあった。それで、この記念館に入ることに躊躇するところがあった。
「福島と戦争」~そして、長崎_a0087378_554547.jpg
 立ち寄ったのは、近くに用事があって、そこから歩かなくてはならないはめになったことだ。たまたま入ってみたということだった。
 そこに、永井博士から送られたという展示物が飾られているのを見た。
 記念館全体は自分の持つイメージのままなのだが、そのごく一部の空間に「福島の『そして、長崎』」を感じてしまった。

 飾られた永井博士からの手紙を読み、視写してみる。博士が病床で編んで送ったというロザリオを見る。永井隆記念館から送られたという浦上天主堂「アンジェラスの鐘」の鐘拓に、博士の言葉が入る色紙を読む。
 飾られた年表の経歴を確かめると、慰問と軍歌が並ぶ中、昭和24年40歳「長崎の鐘」。

 そこで、「長崎の鐘」を聞く。氏の音楽性と結びつけて考えようとしていた。
by shingen1948 | 2010-10-12 05:12 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)