地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「福島と戦争」~模擬原爆(パンプキン)投下21

 模擬原爆を投下した情報を収集する執念の活動に感じるものがあった。その情報を基に、福島の空襲罹災情報と照らし合わせて、福島の模擬原爆投下とその被災状況が確認できると思った。
 罹災した側からすれば、どんな目的であるということにかかわらず空襲による被害は被害でしかない。それは戦争体験者としての感覚として当然なことだと思う。この整理の仕方は、一歩引いたところの感覚を意味していると思う。その事は、体験者からすれば興味本位ととられるかもしれない。しかし、この一歩引いて整理することで見えてくることもある。その一つが、模擬原爆投下の判断の軽さであり、それが戦争の愚かさの思いを深めてくれた。
 もう一つは、地道に罹災記録を残そうとする活動の大切さだ。新しい情報で見方が変わった時に、見直す資料はそれらの資料しかないということだ。
 地道に罹災情報を記録に残そうとする地道に努力する組織や人の存在は、ペーパーで確認していく中で特に感じることができる。それらの活動は、その地域の独自性を持ったものになっている。
平の資料を確認して行く中で感じたのは、実際の被害状況とか被害者についてできるだけ具体的に記録に留めようとする意識だ。
 新しく戦争にかかわる手記を集める活動をしている「いわき地区学會出版部」という組織的な活動に出会ったり、各空爆で亡くなられた方のデータが市史というどちらかというと古くて公的な記録に発見したりする。
 それで、模擬原爆(パンプキン)投下による平第一国民学校の被弾状況も、具体的に描写されているだけでなく、亡くなった方の状況も詳しく知ることができる。

 郡山の資料を確認していく中で感じたのは、各空襲の公式なデータを駆使して記録を構成していこうとする意識だ。後で分かったのだが、「近代福島と戦争(大内寛隆著)」によると、郡山には東北軍司令部陸軍直轄の「郡山防空監視隊」があって、中通り14ケ所に監視哨が設けられていたということだ。そこには青年の男子隊と未成年の女子隊が勤務し、来襲する敵機の監視と本部への通報を行ったという。
 これらの有利な状況を記録に残すということに上手に結び付けているのかなと勝手に思う。
 なお、情報元として1997年8月広報『こおりやま』としていたので、これを確認しようとしたら、広報『こおりやま』は、ここ2年分しか確認できない。現時点では孫引きの状態だ。
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 その中で、福島の空爆の記録の取り組みは、瑞龍寺の爆弾片の保存、そして、その寺を中心とした市民実行委員会の劇化ということのようだ。その出発点は、家族が被害者を供養する気持だったということのようだ。
 この爆弾片だが、ふれあい歴史館にも別の爆弾片が保存されていたようで、最近それも展示されるようになってきたようだ。ただし、こちらはガラスケースに入れられた資料としての展示だ。
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by shingen1948 | 2010-10-10 05:29 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)