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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「福島と戦争」~模擬原爆(パンプキン)投下⑱

 「日本の空襲1~北海道・東北(日本の空襲編集委員会)」は、平の空襲とのかかわりで見たいと思った資料だが、ここには郡山の空襲の記述もある。ただ、郡山でも空襲は数回あり、紹介される郡山空襲の中心は1945年4月12日の初空襲だ。
 その中に紹介される7月29日の記述を確認する。これが、郡山模擬原爆投下にかかわる記述という事になる。

 郡山の7月29日の空襲は、爆死者を中心に紹介される。
 この日の空爆の爆死者を39名とする。その内訳も紹介されている。郡山市関係者12名、県内者3名、県外者20名、身元不明者4名とのことだ。
 駅と工場の2カ所に模擬原爆が投下されたわけだが、その内訳も示される。扶桑第130工場15名死亡で、全員県外人とのことだ。駅では23名死亡で郡山市関係者が11名とする。
 「扶桑第130工場」というのが、先に整理した工場名では「日東紡郡山第三工場」であり、この「扶―」というのが、中島飛行機の信夫山の地下工場にも符号をつけられて呼ばれていたように、「中島飛行機の秘密工場」を意味するのだろうか。「日東紡郡山第三工場」が当時は「中島飛行機の工場」であったということは、先に整理した。
 この日の空爆の爆死者を39名ということなので、1名合わないような気がするが、読み違いなのか、他所での死者かは分からない。

 今までの整理では、投下した北緯と東経のデータも記録していた。それは、情報を整理した後で、確認したい事が出た時に、この事が役に立つことがあるかもしれないという漠然とした思いがあったからだ。
 実際にこのデータを地図で確認してみたら、役立ちそうにもないことが分かった。
 福島製作所辺りに一点プロットし、そのデータを確認すると北緯37.76°東経140.45°だった。同じように、品川製作所を確認すると、これが北緯37.76°東経140.46°だ。渡利の被弾地は、おおよそ北緯37.75°東経140.46°となる。
 そして、そこに期待を込めて、投下データ37°45′25秒東経140°27′30″の地点を地図上で探ってみた。ところが、これが熱海町長橋の後庵と舘下の間辺りで、あり得ない位置を示した。
 ここは、投下目標を外したデータだからかもしれないと、気を取り直して郡山駅で確認してみる。
 駅あたりにプロットした所が北緯37.40°東経140.39°を示す。そして、投下地点北緯37°24′東経140°24′を探ってみる。すると、これが鏡石辺りだ。これもあり得ない。
 投下した北緯と東経のデータで何か情報が得られるかもしれないという予測は、外れだった。
by shingen1948 | 2010-10-07 05:17 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)