地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「福島と戦争」~模擬原爆(パンプキン)投下⑯

 戦時中を経験を通して知らない者にとっての空襲のイメージは、何百機もの飛行機が編隊を組んでやってきて、焼夷弾の雨を降らせていく中で、いくつもの爆弾を投下するというものだ。
 ところが、この模擬原爆(パンプキン)投下の空爆は、単機あるいは少数機のB-29がやってきて、1個の巨弾を投下して去っていくという独特のもののようだ。
 茨城具大津の調査報道で、この空爆の被弾状況が今でも不明なものもある事を知った。平でも、20.7.20に2個の模擬原爆が投下されているはずだが、その被弾情報は確実ではないようだ。

 調査しても不明なのは、空爆の特徴と共に投下された爆弾のイメージのずれも関係しているのではないかとも思う。
 調査したい方では、この爆弾は当然5tという巨弾のイメージを持っている。しかし、調査を受ける側では、巨弾というのは500キロをイメージするのが普通で、それでも中には最大1tをイメージする人もいるかも知れないという状況のようだ。
 空襲というイメージのずれ、巨弾のイメージのずれが重なって、概念的なズレがあるのかも知れないと思う。
 平では普通にイメージする空爆も受けていて、語り継がれるのはこちらが中心のようだ。そのこともかわるかもしれない。7月26日の模擬原爆の投下については語られているが、それは学校に投下されたという特殊性があったからではないかとも思う。当然、その周りには民家が多かったということもあったろうか。20.7.20の空襲が消えているは、その被害が少なかったということもその一因かもしれないと思う。

 確認していると、平の空爆にはもう一つの特徴があることが分かる。それは、いつも第一目標ではなさそうだということだ。
 第1回目の平空襲は、昭和20年3月10日東京大空襲帰りのB-29から焼夷弾が落とされ、平市街の材木町、鍛治町、研町、紺屋町、梅本一帯が焼かれたようだ。これで、死者12人、家屋500戸以上が炎上するという被災を受けている。
 そして、第2回目の平空襲とされているのが、今回整理した7月26日平第一国民学校(現平一小)に被弾した模擬原爆による空爆だ。これも、第一目標は長岡地区だった。
 これで、死者教員3名。家屋1500個以上が破壊という被災を受けたといわれている。
 第3回目とされるのは、昭和20年空襲のようだ。これに昭和20年7月26日の2機が模擬原爆を投下した空爆を合わせると、平では計4回の空爆にあっていることになる。
 この26日の空爆も、第一目標は1つが郡山で、もう1つが長岡の工場だったということだ。
 こちらは、投下する側の意識の軽さを物語っているのではないかと勝手に想像してしまう。余った爆弾とか、軽くした方が着陸時に危険が少ないなどの理由が想像される。
 それを市街地に軽々しく投下されたのなら、戦勝国が語る人道という概念とはほど遠いものを、勝手に想像してしまう。
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by shingen1948 | 2010-10-05 05:49 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)