地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

「福島と戦争」~模擬原爆(パンプキン)投下⑭

 7月26日の空襲にかかわる情報を、平地区の資料で確かめる。
 「平市史通史」では、昭和20年3月10日の平空襲に続いて、第2回目の空襲として以下のように記録される。
 昭和20年7月26日午前9時ころ、平第一国民学校(市立平第一小学校)が、B29爆撃機1機の投下した1発の爆弾(いわき市史第11巻上は1t、建設省編「戦災復興誌」は500キログラム)で完全に倒壊してしまった。校長、教師の3人が死亡、負傷者60人を出した。
 登校した高等科の生徒は避難して全員無事だった。

 そこに掲げられる「石城郡戦災史年表」では、この空襲について、「500㎏爆弾により1517戸被災、3人死亡、53人負傷」を記録する。
 更に「いわき市史第11巻」を確認すると、「揚上爆弾1屯」とあり、26日の空襲分として、この空襲による死亡者の氏名と住所が記録されている。
 ここで記録される死亡者は、渡邉寿重、佐藤―、瓜田 寿氏。(別資料で、渡邉氏が平第一国民学校の校長先生で、佐藤氏は、佐藤三義氏でこの学校の付属盲学校委託職員の先生、瓜田氏が平第一国民学校の先生らしいことが分かる。)
 空襲の記録を見直す動きの中に、犠牲者の氏名をきちんと確認する動きがあるようだ。この市史は古そうだが、そういう意味では新しい。

 この市史の別項目のところに、この時とかかわる資料があった。
 昭和23年に発効した戦争保険受領の為の「罹災証明書」だ。そこに、「1屯爆風による六間門所在住宅2棟と土蔵1棟の損害証明」との記載があった。
 地図で確認すると、六間門は平第一国民学校(市立平第一小学校)の北側だ。ここに投下された爆風によって崩れた民家が、戦争保険を受領するために「罹災証明」を受けたということだ。この資料から、直撃を受けた学校だけでなく、広範囲に渡って爆風の影響を受けた民家が崩壊していることが想像できる。
 地図を確認していると、平一小と平一中が隣り合っている。この平一中が、郡山の警報当番日誌にある女学校があったところのようだ。

 なお、平の初回空襲は、東京大空襲帰りのB-29から焼夷弾が落とされ、平市街の材木町、鍛治町、研町、紺屋町、梅本一帯が焼かれたという。死者12人、家屋500戸以上が炎上したとのことだ。平に投下された模擬原爆は、いずれも他所に落とす予定だったものだが、これもまた東京大空襲帰りの投下とのことだ。落とす方にとっては単なる変更だが、落とされる方にとってはたまったものではないと思う。
 そういう意味で切ないことがもう一つある。平第一国民学校に被弾した模擬原爆は、工業地帯に投下されたことになっていることだ。
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by shingen1948 | 2010-10-03 05:26 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)