地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

「福島と戦争」~模擬原爆(パンプキン)投下⑬

 7月20日の模擬原爆(パンプキン)投下とかかわる平の空爆記録は曖昧だが、昭和20年7月26日の投下とかかわる被弾は、第2回目の平空襲として記録される事が多いようだ。
 ネット上の情報では、5トン爆弾が平第一国民学校(現平一小)に被弾し、お城山一帯が破壊されたとある。死者教員3名、家屋1500以上が破壊との情報となる。
 これが、任務№8の攻撃した目標が長岡地区照準点2箇所で、その臨機目標として、平工業地域(北緯37°04′―東経140°52′)に投下されたとするものだ。これも10/10の雲で、予定変更による投下のようだ。

 先の郡山の警報当番日誌では、次のように記録されているようだ。
 7月26日
 近頃2、3日快晴続く。敵機の行動愈々激しく、
 午前8時7分警戒警報発令を見る。
 今日も鹿島灘より本土へ進入、茨城県四目標行動中、暫くして本県南部より中部へ西部へ東部へ変転するも爆音なく9時41分解除される。
 11時44分、またまた警戒警報発令、
 今度はB24洋上を行動中との報あり。20分にして12時4分解除さるるも、
 平第一国民学校、女学校の中間へ500キロ爆弾1ケ投下され、30名からの死傷者出る。B241機小数たりとてあなどらず、B29100機たりとて恐れず、待避の時機に注意せられたし。
 27日0時6分新潟方面より侵入の敵機に警戒警報発令を見、当市北空を通過、東南方沖へ退去。0時29分解除。

 この日は、模擬原爆(パンプキン)投下にかかわって、この平に投下した攻撃目標が長岡の任務で4機、攻撃した目標が富山地区で6機が広範囲に行動している。だから、どれが、郡山上空ので描写される機と結びつくのかは分からない。
 ただ、郡山ではこの日の平第一国民学校の被弾が、その日のうちに伝わっているということが分かる。「B24が、500キロ爆弾1ケ投下し、被弾被害は30名からの死傷者出る」というもののようだ。その内容が多少違うのは、今だから言えること。感じるのは、郡山の情報把握の速さだ。
 伝達された内容で明らかに違うのは、B24が、500キロ爆弾1ケ投下ということで、これはB29が、5t爆弾1個投下ということだろうか。
 ただ、現在でもこの爆弾の重さは、権威ある資料でも、ペーパーの記録では500キロと1tの情報が混在する。
 先に整理した福島渡利に被弾したものも、ふれあい歴史館では500キロ爆弾としている。これによって、当時はこれ等を500キロと認識する共通した訳があるというヒントを得ることができる。
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by shingen1948 | 2010-10-02 09:23 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)